「リアクション芸というノスタルジー」天久聖一の笑いについてのノンフィクション【笑いもの 天久聖一の私説笑い論】第11回

笑いもの 第11回「リアクション芸というノスタルジー」

 

▲DVD「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!! Vol.1」

お笑いウルトラクイズの衝撃

 

上島竜兵さんが亡くなった。自ら命を絶ったそうだ。

その第一報をネットニュースで知ったときは、正直「またか……」と気持ちが沈んだ。とはいえ、そんな憂鬱もすぐにタイムラインの追悼コメントのように消えていった。

コロナ禍以降の痛ましいニュースに、嫌な意味で慣れてしまったのかもしれない。

 

しかし、その後、さまざまな芸人さんが寄せたコメントを聞くにつれ、彼の喪失がお笑い界にとっていかに深い意味を持つかに思いをめぐらせるようになった。

有吉氏や土田氏といった、いわゆる竜兵会メンバーの哀しみを推し量ることはできない。

ラジオではどちらもはぐらかすように冗談を飛ばし、いっそ爽やかな口調で哀悼の意を捧げていた。おそらくは生前と同じ気遣いで恩人を偲びたかったのだろう。近親者の哀しみがリアルに伝わった。

 

印象的だったのは松ちゃんとたけし氏だった。

二人とも40年来の付き合いだったと、その長い年月に感慨を漏らしていたが、意外なほど露わにした感情には、ただ盟友の死を嘆くものとは違うニュアンスがあった。

ともにお笑い界の頂点に立つ二人である。彼のリアクション芸人という特異なポジションこそが、現在のお笑いを根底で支えていたことは熟知していたはずだ。お二人の沈痛な面持ちには、なんとも言えぬ悔しさが滲んでいた。

 

40代、50代の男たちにとって、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』というタイトルには特別な響きがある。バブルの勢いで過激にデタラメ化したバラエティ番組の、極北にある特番がウルトラクイズだった。

一応アメリカ横断ウルトラクイズのパロディという態だったが、その内容はまだ売れていないモブ芸人たちを爆薬で吹き飛ばし、戦車で追い立て、挙げ句は廃車同然のバスに押し込み、そのままクレーンで海に沈めるという、地獄絵図の実写化だった。

 

当時は爆笑だった。腹を抱えて笑った。ただ冷静に考えると「スゴいものを見た!」という、不謹慎なパワーに圧倒されていただけかもしれない。

でも、そんな「祭り」に立ち合っているという感覚がなぜか誇らしかった。大人が眉をしかめ、女性たちが呆れるほど、なんでこの面白さが分からないんだと腹が立った。

 

同時代性の共有というやつだろう。なにも持たない、そしてモテない若者にとっては、バカバカしさに体を張る年上の芸人が、そのへんの男性アイドルや役者より断然かっこよく見えた。

上島竜兵の代表ギャグ「聞いてないよ~!」もこの番組で生まれた。

 

いま思えば、あのときダチョウ倶楽部がブレイクし、リアクション芸人という存在が認知されたことでお笑いは一般化したのだと思う。

では、リアクション芸人と何か?──これを考えるにはまず芸人(を含めた芸能人)が、かつて世間でどういう存在だったかを知る必要がある。

 

リアクション芸人の誕生

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