【2022年1月号 爆笑問題 連載】『白いネコ』『新幹線大爆破』天下御免の向こう見ず

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<文・太田光>
白いネコ

 ベッドの上の財前五郎が、去ろうとする里見医師を引き留めた。
「待ってくれ」
 里見が振り返ると財前が弱々しく手を伸ばす。財前は自分の死期を悟っていた。当然里見も財前がもう助からないことを知っていたが、必死に隠していた。
「どうしたんだ?」
 里見は財前の手を両手で包み込み、平静を装い聞く。財前はカッと目を開き手に力を込める。顔には黄疸が出ている。
「里見君……僕は君に敗けたよ。こうやって死と対面することになって、初めて……医師というものがどういうものであるか、どうあるべきか……それが、はっきりとわかったよ……」
 財前と里見は学友であり、ライバルだった。
 財前は世界的な名医であり、この大学病院のエースだった。出世の為ならどんなに汚い手でも使った。教授選挙では多くの賄賂と人脈を利用した。患者からは神のように崇められ、実際に手術の技術は神業のようだった。難しい手術も短時間で終わらせ、世界記録を保持していたほどだ。
 里見は内科医であり、財前とは逆に出世などというものには、全く興味がなかった。目の前で苦しんでいる患者を何としてでも助けたい。それだけを考えていた。患者の為ならば、自分の地位や名誉など平気で捨てられる医師。こちらもまた名医だった。
「君は立派な外科医じゃないか」
 里見が言うと財前の瞳は驚いたように大きくなり、口元に笑みがこぼれる。
 財前は最後の声を振り絞る。
「僕は……君のような本当の医師を友達に持って誇りに思っている……」
 二人の進む道を分けたのは、一枚の胸部レントゲン写真の白い影だった。これを癌の転移と見たのが里見。財前は結核の痕跡と診断した。念の為、手術前の胸部断層撮影検査をしてほしいという里見の進言を無視し、財前は手術を強行。術後、呼吸困難を起こした患者を術後肺炎と診断した。しかしあくまで癌の疑いを捨てなかった里見は、胸部X線写真を撮るように要請するが、財前はこれも無視した。理由は多忙な為であった。ドイツの外科学会での特別講義が控えていて、そんな患者一人にこだわっている時間がなかったのだ。
 財前がドイツに渡った後、患者の様態は急変し死亡した。実際は術後肺炎ではなく癌性肋膜炎だったのだ。
 患者の遺族は財前の誤診を裁判に訴え出るが、一審の判決は財前の勝訴。財前には医師としての道義的責任はあるが、このケースは極めて高次元の医学的判断を要するものであり、法的責任までは問えないというものだった。
 結果、里見は大学病院を去ることになったのだ。そうして袂を分かった二人が今、同じ病室に、患者と医師の立場でいる。
 誤診の裁判は控訴審で財前の医師としての責任を問われる形で一部敗訴。財前側は最高裁へ上告する意向を示すが、その頃財前は自分の体の不調に気づき、診断を里見に頼んだのだ。財前は末期の癌だった。しかし里見は告知をためらっていたのだった。
 しかし、癌の権威である財前にそれを隠すことは不可能に近かった。財前は既に自分の病気を知っていた。また財前がそれを知っていることも里見はわかっていた。
 里見は不安そうな財前に微笑んで言う。
「ありがとう。君と僕は同じ教室で勉強をした友達じゃないか」
 財前の目に涙が溜まる。里見の手を両方の手で握りしめる。
 目の前にいる里見こそが本当の医師だ、と財前は思う。彼こそが医師の、あるべき姿であり、生き方だ。
「……ありがとう……しかし……気がつくのが遅かった……」
 その後は声にならない。とめどなく涙が溢れ出る。 
「ケケケ、本当に遅かったニャぁ」
 突然ヘンテコリンな声が聞こえた。
「誰だ?」
 財前が声の方を見ると、病室の隅に奇っ怪な白い小さな生き物がいた。耳が長くてウサギのようだが、顔は完全にネコのウサギネコだ。
 まさか。財前は混乱した。部屋を見渡すと今までそこにいた里見の姿がない。
「ケケケ、あいつは、もう出てったニャ」
 そうか。思ったより早かった。既に肝性昏睡が始まったのか。私は幻覚を見ているのだ。
「ケケケケ、肝性昏睡はまだ少し先だニャ。おれは幻覚じゃニャイ。おまえはもう少しだけ生きるんだニャ……ケケケ」
 これが現実なのか、昏睡なのか、財前はもはや自分では判断出来なかった。 
「なぜ、こんな所にネコが……」
「失礼ニャ! おれはネコじゃニャイ! ウサギだニャ!」
 そう言うとウサギネコは財前の手を取り飛んだ。
「何をする?」
「おまえに見てほしいミライがあるんだニャ」

 二〇二二年の病院にウサギネコは財前を連れて降り立った。
 廊下を、防護服を着た医師や看護師達が忙しく走り回っている。
「……これは……」
 財前は呆気にとられて見ている。
「ケケケ」
 ウサギネコは財前を連れて病室に入り、テレビをつけた。
「本日の感染者は……」
 アナウンサーが伝える。
「感染者?……」
財前は愕然とした。テレビのニュースでは世界中の映像が流れ、新型コロナのパンデミックの様子が伝えられた。
「どうして、こんなことに……」
 財前の脳裏に今までの感染症の歴史が浮かぶ。スペイン風邪、コレラ、天然痘、ペスト、……。
 テレビに映った日付は、2022年。
 ここは、五〇年以上先の未来だ。
「世界の医学は……」
「ケケケ、おまえが期待したほど進んでニャイかニャ?」
「いや……」
 財前は感染症の恐ろしさはよく知っている。どれだけ医学が進歩しても、新種のウィルスの出現を止めることは出来ない。いくら未来であろうとも想定される事態だ。
 財前が驚いているのは、医学の進歩だった。テレビ画面に映るICUの様子、そこで使われている機材など、見れば一目でどういう物かがわかる。
「ここまで来てるのか……」
 財前は悔やんだ。自分の診察室や手術室がこれほどの物であったなら……と。
 この環境で自分が医師として働けないことが悔しかった。
 ……気がつくのが遅かった。
 自分はもう死ぬのだ。
 テレビが次のニュースを伝える。大学の受験会場で、高校生の少年が人々を包丁で切りつけたという。
 殺人未遂で逮捕された17歳の少年は、犯行動機を「医者を目指していたが、学校の成績が上がらず自信をなくし、人を殺し罪悪感を背負い自分も死のうと思った」と語ったという。
「こいつはニャンで医者にニャりたかったのかニャぁ?」
 財前はジッと画面を見つめている。
「おまえをここに連れてきたのは、これを聞きたかったからだニャ」
「何だと?」
「ケケケ、ニャンでおまえは医者にニャッたんだニャ?」

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