「娼婦の悲哀を取り戻せ――『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』を女性たちに勧められない理由」【戸田真琴 2021年12月号連載】『肯定のフィロソフィー』

本記事は映画『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』のネタバレを含みます。

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 まず初めに、連載のタイトルに「肯定のフィロソフィー」という言葉を掲げておきながら二ヶ月連続で作品に対して批判成分の多いレビューを掲載してしまうことを申し訳なく思う。この言葉はもともと、私が初めてTV Bros.本誌にインタビューを掲載していただいた際に担当したライターさんが記事のタイトルにつけてくださった言葉で、「色々な経験をし、いつかすべてを肯定したい」という私の信念を汲み取ってくださった大切な言葉だ。

 誌面から始まってWEBでも書き続けているこの連載は、いつも心のどこかで「何かを肯定するための思考プロセス」を晒すことを意識していた。だけれど今回もタイトルの通り、私は明確な「NO」を掲げるためにこのページを使ってしまう。そのことを許してほしい。

 

 つい先日、私がAV女優としてのアダルト作品への出演を2023年の1月をもってやめるという旨を正式発表した。それについて今言えることは個人のnoteに簡単に綴ったのだけれど、始めた理由が山ほどあるのと同じように、理由もたくさんある。そのうちのひとつに、「自分が味方をする相手を間違えないようにしたい」というものがあった。始めた当時、自分を傷つけようとするナイフさえもこの手で包んで、血を流してでもそれを向けた相手を愛したい、それをなるべくたくさんの人にしていったらいつか世界がちょっとだけ大丈夫になるのではないかと、そういう狂気的な願望をもって業界の扉を叩いた。そういうことをしながら、そういうことでご飯を食べて行ったら、私はいつかどんなことも肯定できるようになるのだと信じて。それが、私の「肯定のフィロソフィー」だった。 

 みずからの肉体と精神を材料にした人体実験の結果は、良好だ。私が本当に「YES」を掲げるべき誰か――特定の人物や属性を指さない、私が肯定するべきひとびとに対して本物の「YES」を渡すためには、すべてを肯定するのでは不完全なのだと流石にわかってしまった。わかることができたから、実験結果は良好なのだ。本当は「NO」のコマをすべて「YES」にひっくり返す異次元のオセロがやりたかったのだと思う。だけど、それじゃだめなんだ。本当はずっとわかっていたことを、認めるための5年間だった。飢えている誰か、生きるか死ぬかのラインをすり抜けながらなんとか続いている命がある一方で、すでに足りている人がデザートをむさぼる様を、「そうだよね。甘いものも食べたいよね」と肯定するふざけた行為をやめるのだ。生きていけるかはわからない。空白の履歴書と脳味噌だけで生活していけるのかはわからないけれど、じゅうぶんな蓄えもなく、心のみにしたがって生きる。ここから私の、本当の意味での「肯定のフィロソフィー」を始めなければならない。

 

 余談はここまでにして、今回は映画「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」についてレビューする。「ベイビー・ドライバー」のエドガー・ライト監督の最新作で、主演は「ジョジョ・ラビット」のトーマシン・マッケンジーと「クイーンズ・ギャンビット」のアニャ・テイラー=ジョイ。今をときめく最強の美女ふたりが、きらびやかな街・ロンドンで悪夢を通しリンクしていくタイムスリップ・ホラー。好きな俳優ふたりと、予告でも伺えるハイセンスな映像に期待たっぷりで見に行った。

 主演の二人の芝居とビジュアルが最高に上手くてかわいいのはさながら、60年代カルチャーへのリスペクトと愛に満ちた美術や音楽、ファッションはさまざまな人を引きつけるだろう。特にいいのが撮影監督のチョン・ジョンフンの手腕で、画面内の人物を中心に何か強固な円柱があるかのように遠心力を感じさせながら回っていくカメラワークは、主人公に対しそれ以外の世界が目まぐるしく動いていく様を感覚レベルで叩き込み、異常なまでの没入感をもたらす。音響と編集のリズム感覚も非常に優れていて、映画館という環境であれば見ている人が60年代ロンドンを闊歩しているような感覚に陥ることができるだろう。

 また、インタビューで読んだ限り、この映画を作るために監督は10年かけて当時のソーホーという街についてリサーチをしている。60年代カルチャーと当時の街を愛する気持ちがあるからこそ、歴史の影に踏み潰された人たちのことをモチーフにして映画に描こうとした、その試み自体は素晴らしいと思う。そう、試みることは大切なのだ。その過程で誰かを極端に踏みにじることさえなければ、挑戦も実験も、すきなだけやるべきだ。

 

 こういった優れた点があるからこそ、この映画は映画レビューサイトやSNSで飛び交う感想群のなかではおおむね絶賛されているのだろう。そして私がそういう人たちの興奮に水を差すことになることをわかっていながらもこれからこの映画を批判するのは、大絶賛されているからこそ、である。ほとんどの人が何も言っていないなら、私が言うべきだと思った。

 

 ここからはネタバレと共に、ごく個人的な感想を織り混ぜて書くことになる。それは感受性の範囲の話で、全ての人にとってそうである、という話ではないことを言っておきたい。それは同時に、感受性がひとより強いことを少しでも自覚している人には、この映画について注意したい点がいくつかあるということでもある。

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