天久聖一がおくる笑いについてのノンフィクション【笑いもの 天久聖一の私説笑い論】第5回

笑いもの 第五回

 

▲いがらしみきお自選集(一)「あるものはあるないものはない」

 

 

新人看守に仕事のいろはを教えるのは、たいていベテラン囚人の役目だった。

 

前回書いたように、拘置所に収容された被告の世話をするのは、すでに刑の決まった懲役囚である。彼らは収容者の食事、洗濯、清掃など、施設内のあらゆる作業をこなすことで刑に服している。いわば彼らこそが拘置所の裏方であって、新人看守は彼らの監視を通して、施設内の仕組みや運営を学ぶことになる。

 

拘置所で服役する懲役囚の中でも、特別な位置にいるのが「雑役夫」である。

雑役の仕事は配膳や図書の貸与など、被告と直接ふれ合う機会も多いため、選考は慎重を期する。ただ、品行方正な模範囚が選ばれるとは限らない。

雑役に必要なのは機転や要領であって、真面目すぎる者はかえって被告の口車に乗せられ、罠に嵌りやすい。また、刑の短い者は仕事を覚える前に出所してしまう。なので、理想は刑期が長く、しかし行状はよく、なおかつ機転の利いた懲役囚となる。

 

僕が最初に担当した雑役夫は、見かけこそ総白髪の小柄な老人だったが、背筋はピンと伸び、動きは機敏だった。

白いのは髪の毛ばかりではなかった。よく見ると体全体も漂白したように白く、眼球の色も薄かった。元々そうした体質かもしれないが、長い穴蔵生活によって色素を失った小動物のようにも見えた。

僕は彼のことを心の中で「ハツカさん」と呼んでいた。その見た目と挙動がハツカネズミそっくりだったからだ。

 

「先生」

孫ほど歳の離れた新人看守をハツカさんはそう呼ぶ。

「解錠お願いします」

背後にいた僕はその体を回り込み、前方を閉ざした鉄扉の鍵を開ける。拘置所内は鉄の扉だらけで、突き当たりのたびに鍵を開けなくてはならない。

小さな背中に先導されて施設内を移動する。塀の中における知識と経験において、僕は当然ハツカさんの足元にも及ばない。一応は監視する態でついて回っているのだが、実際にはベテラン雑役夫による新人研修のようなものだった。向こうもそれは分かっていた。

各現場での立ち位置、スイッチ類の場所をそれとなく教えられ、人当たりのいい笑顔で細かいミスを指摘されたりもした。高校を卒業したばかりの僕など、まるで坊ちゃん扱いだった。

囚人と二人きりという緊張感もあり、最初は無言の行が続いたが、数週間後には天気の話ができるくらいに打ち解けていた。

 

職員の仮眠室でシーツを取り替えていたときだった。一部の雑役夫はこうした職員エリアにも出入りできる。

まだ生臭い呼気が漂う室内で、いつものようにプロ級のベッドメイキングを披露するハツカさんに、何気なく訊ねたことがあった。

「なにやったの?」

流れる動きが一瞬凍った。

「へえ?」

「○○(ハツカさんの名字)は、なにやってここ入ったの?」

「殺人です」

何事もなかったように、作業は再開された。僕は自分のしでかした失態に、いまさらほぞを噛みしめた。懲役に直接罪状を訊くなんて──看守としてそれは言うまでもないタブーだった。

 

僕が看守をしていた30年前は、ハツカさんのような戦後の匂いを漂わせたベテラン囚人がまだ残っていた。拘置所のあったK市は日本最大の暴力団を生んだ街でもあり、終戦直後のひしめく闇市の裏で、血で血を洗う抗争が果てしなく続いたという。彼らは結局そんな混乱から抜け出せず、人生の大半を娑婆と監獄の往復で過ごしてきた人たちだった。

 

大量のシーツを抱えたハツカさんが、すれ違いざまに言った。

「いまのは、貸しでっせ」

いつものおどけた声に、刃物の鋭さが潜んでいた。

 

ハツカさんがどういう経緯で殺人に至ったのかは分からない。ただ昔は、狂犬と仇名されるヤクザだったと聞いたことがある。見た目からは信じがたいが、あの声には紛れもないヤクザの本性が現れていた。

僕が看守を辞めるまで、結局「貸し」を取り立てられることはなかったけれど、あの小動物めいたハツカさんがくぐり抜けてきた修羅場を思うと、いまでも切ない気持ちになる。

 

 

そのモニターは常に、視界の右隅にあった。

モニター室には他にも、施設内の要所を映したもの、監視対象の独房を映したものなどが壁一面並んでいたが、その画面だけはなぜか粒子が粗く、対象人物がぼやけて見えた。もっともそれは気のせいで、死刑囚を直視したくないという心理的要因が働いていたのかもしれない。

 

死刑囚は刑務所に行かない。

刑務所はあくまで刑に服す場所であって、死刑によって罪を償う死刑囚は従って、執行日までを拘置所で過ごす。視界の隅に映る男の罪は、押し入り先の家族を惨殺した強盗殺人だった。死刑はとうに確定していた。

 

監視カメラは独房の天井に設置されていて、モニターには真上からの画が映る。死刑囚のみならず拘置所内のあらゆる場所を同時に見下ろす感覚は、一瞬自分の意識をいびつに拡張させる。遍在する視線はすなわち神の視線だ。

 

ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で紹介した一望監視施設、いわゆるパノプティコンは、近代監獄の基礎となっている。

原理はまず中心に塔があり、その周辺を建物が囲む。塔には監視用の窓があり、建物を内部まで見通すことができるが、逆に建物から監視塔を見上げても、逆光と角度の関係で中までは見えない。

すると、どうなるか──収容者は常に塔からの視線を感じながら、自然と規律を守りはじめる。面白いのはたとえ塔の中が無人であっても確認する術はなく、収容者たちは見られている〈かもしれない〉という憶測のみで、自らを律することになる。

 

大切なのは「目」だ──その視神経がどこにつながっていようと関係ない。やましい者にとってそれは監視に、孤独な者にとっては救いとなる。

のちに世の中全員がケータイを持つようになったとき、僕は自分から監視されたがる人々が不思議でならなかった。現在のSNSが構築した相互監視システムは、世界をゆるい監獄にしてしまった。そこでは誰もが看守であり収容者なのだ。

 

そんな考察は後付けに過ぎないけれど、当時凶悪犯が怖れる監視カメラの主が、居眠りばかりしている新人看守だということに、ねじれた愉悦を感じていたことも確かだった。よく出来たギャグとは、決まって悪質だ。

 

 

面会室への連行を命じられ、死刑囚を迎えにいったときは、いつもテレビ越しに見ていた芸能人に直接会いに行くような興奮があった。

実際はテレビではなく監視モニターで、真上からのモノクロ映像では顔だってろくに分からなかったが、それだけに不謹慎な期待が募っていた。

 

死刑囚のいる舎房は、収容者の中でも特に問題のある被告が集められた区域で、そこを担当する刑務官は皆の尊敬を集めるK拘置所のエースだった。

柔道家らしいがっしりした体型を中年の脂肪が覆っている。歳は40代後半で、武闘派の先輩たちが崇めていたところを見ると、柔道の腕はかなりのものだったはずだ。

厳格な指導官というよりはトラブルを最小限に収める仲裁人タイプで、いかなるときも動じない地蔵を思わせる風貌が、収容者たちを落ち着かせるらしい。職員の休憩所では話題の横から絶妙なボケを放つ、ユーモアを持った人だった。

 

ガキの使いのように現れた僕を、エースが一瞥して鼻で嗤った。緊張を見透かされたようで恥ずかしかった。

面会連行の件を伝えると鷹揚にうなずき、独房に向かった。まるで心の準備を促すかのようなゆっくりした歩みに、浮かれた気分が冷めていった。

 

舎房の一番奥にその独房はあった。ガチャリという解錠音が響き、スライドする鉄扉がけたたましく響く。

「前へ!」と野太い号令があって、スウェットの人影がぬっと現れた。

男はエースより頭半分ほど背が高く、長期の拘禁生活にも関わらず筋肉もさほど落ちていなかった。反抗されたらひとたまりもないな、不意に浮かんだ恐怖を急いで掻き消す。

 

男は僕に一瞥もくれず、エースの身体チェックを受けながら廊下の壁を眺めていた。

だるそうに回した首筋がきらきらと光った。不自然な輝きに目を凝らすと赤く爛れたアトピーの跡だった。

軽い運動や入浴以外、ほぼ24時間独房を余儀なくされる拘禁生活を続けると、いくら図太い犯罪者も少なからず精神を病んでしまう。ましてや、いつ訪れるか分からない死刑を待つ身ならば、率先して自らのパラノイアに逃げ込むほかないだろう。

しかし、いくら狂気に逃げたところで、身体は嘘をつけない。首筋のアトピーはスウェットの襟の中まで続いており、かなり広範囲だと分かった。

 

「右向け右、進め」エースの号令で男が歩み出す。その背中についていく。一瞥したエースが再び鼻で嗤った。

面会相手は男の母だった。

ただし実の母ではなく、死刑が求刑されてから獄中で養子縁組をした義母であった。キリスト教系の人権団体に所属するお婆さんらしく、一瞬見かけたときの印象は儚げで、しかし豊かな白髪には品があった。街中でたまに見かけるシスターがベールを取るとこんな感じだろう。

 

休憩室で初めて養子の件を聞かされたときは、思わずそんな奇特な人がいるのかと感動しかけたが、直後「偽善だよ、アーメンの」と吐き捨てる先輩に「そっスよね」と同調しておいた。

システムに生きる刑務官にとって、愛と信仰のドラマなど端からどうでもよく、仕事が増えるぶん邪魔でしかなかった。

 

男が舎房の出口に向かう。埃とカビが混じったような、苦い体臭が流れてきた。

コンクリートの床をスリッパで叩く歩き方は、本来なら(その音が通信手段になり得るという理由から)禁止されているが、男を極力刺激しないよう注意はするなと言われていた。死刑囚は生涯VIP扱いだ。

たいていの収容者は看守が背後につくと、なにかしらの気配を走らせるものだが、男にはまったくそれがなかった。僕の存在は無視というより否定されていた。

 

まだ肌寒いまではいかず、廊下に差し込む陽光が黄金色だったので、たぶん秋の午後だったと思う。

廊下には高い位置に鉄格子を嵌めた窓があり、縞模様の影が床に落ちていた。

男がそこを通過する。きらめくアトピーの首筋に縞模様の影が走る。まるで映写機のフィルムの中を歩いているような、奇妙な感覚に陥った。

実際は数秒間だったはずの時間に、男を真上から見た監視カメラの映像が、キリシタンのお婆さんの姿が、そして見たはずがない殺人現場の映像が次々と脳裏に浮かんだ。

包丁を握った男が、目を見開いて歯を鳴らしていた。台所の小さな窓からはいまと同じ黄金色の光が差して、黒い血塗れの死体を照らしている。

 

 

僕は台所の入り口に立ってそれを見ていた。死体はひとつではなかった。テーブルの下から子どもの足が見えた。視線を元に戻すと、目の前の惨状から急に興味を失った男が、まるでゲームコントローラーを投げ出すように包丁を捨て、僕に向かってきた。

入り口の玉暖簾を割って、男が目の前に現れた。僕はとっさに体をかわした。すれ違いざま男がつぶやいた。

「……お母さん?」

留守番中の子どもが入り口の気配に気づいたような、そんな声だった。

 

我に返って男を眺めた。束の間の幻影が尾を引いたのか、骨張ったいかつい背中がひどく幼く見えた。

そのときなぜか、自分がそうだと思い込んでいた時間の概念が、まったく別モノのように感じられた。

過去・現在・未来は一方向に伸びているわけではない。過去は捏造された妄想で、未来は死者の回想かもしれない。記憶は蓄積された経験ではなく、あらかじめ用意された無限のパターン、無限のフィルムの中を、ただ魂だけが通過している──。僕は座って僕自身の、あるいは他人の映画を観ているに過ぎない。

 

 

男が止まった。その体を回り込んで鍵を開けた。再び歩き出した男の背中を追って、面会室に向かった。

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