押井守のサブぃカルチャー70年「漫画の巻 その2」【2021年11月号 押井守 連載第32回】

今回も前回に引き続いて「漫画」の話題。「漫画を雑誌で語る」という方針での前置きを終え、ついに『ガロ』と『COM』のお話です!
取材・構成/渡辺麻紀

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当時の少年漫画の一線を超えた表現があった『ガロ』と『COM』

――漫画というサブカルを語っていただいていますが、押井さんはそれを作家ではなく、漫画雑誌の在り方や歴史で語ったほうが本質に近づけるとおっしゃっています。前回は、月刊から週刊へとシフトしていった1960年代後半から1970年代初期についてでした。前回、押井さんは、少年漫画と少女漫画の歴史は微妙に違うとおっしゃってましたけど……。

少年漫画は「週刊」がメインになって大きく変わったものの、少女漫画の場合はそこまで影響はなかったんじゃないかと思っているんだよね。私が男だからかもしれないけど、週刊少女漫画誌の印象が薄いんですよ。

少女漫画界の新御三家と呼ばれていてた萩尾望都、山岸凉子、竹宮惠子が活躍していたのも月刊誌じゃない?

――調べてみると、萩尾望都の『ポーの一族』は『別冊少女コミック』と『フラワーズ』、山岸凉子の『アラベスク』は『りぼん』で月刊誌。でも、竹宮惠子の『風と木の詩』(1976~1984年)は『週刊少女コミック』から『プチフラワー』ですね。ちなみに池田理代子の『ベルサイユのばら』(1972~1973年)は週刊の『マーガレット』です。

そうか……でも、私の印象はやはり月刊誌なんですよ。

私が密かに思っているのは、女子はあまり漫画にお金をかけたくないんじゃないかということ。単純に男女を比較した場合、漫画にお金をかけるのは絶対男子じゃない? 漫画のみならずゲームもアニメも男子がお金をつぎ込む。

つまり、何を言いたいかというと、サブカルにお金をかけるのは男のほうだってことなんです。女子の場合、洋服やお化粧、美味しいものや旅行……それこそお金をかけたいジャンルがたくさんある。でも、男の場合、これって決めたら、そこにガンガンつぎ込むからね。有償資源にお金を投下するのは、明らかに男子のほうなんです。

――私の知っている女性は、ジャニーズにお金をつぎ込んでいますよ。コンサートに行き、そこでグッズを買い、追っかけで地方のコンサートにも行く。

そんなの大したことないよ。男子の場合はもっとつぎ込むから。おそらくアイドルへの資金投下は男子が90%。ゲームに課金する廃課金者と重課金者はほぼ100%男だから。

――女子は、カタチとして残るもののほうが好きなんじゃないですかね。ブランドを買い漁るなんていうのは女子のほうが多そうじゃないですか。

ブランド品は虚栄心だよ。女子はまんべんなくばらまき、まんべんなく欲しがる。一方、男子はコレと決めたら一点集中。そこにしかお金を投下しないから、ほかのことはどうでもよくなる。

しかも男子の場合は、好きになると「プロ」という顔が見えてくる。プラモもゲームも、すぐに「プロ化」したくなって、仕事にしようと思うようになる。

男子がアニメにハマると「アニメーター」という文字が頭に浮かんでくるけど、女子の場合でそうなった人はあまり聞いたことがない。漫画も同じ。漫画家志望は圧倒的に男子が多い。

さっき言った「新御三家」を支えたのも実は男子なんです。かつてないほど男子が群がった。とりわけ萩尾望都の『ポーの一族』だよね。山岸凉子の『アラベスク』だって男子がたくさん読んでいたんだから。

――『ポーの一族』は吸血鬼ものだから男子が読むのもわかりますが、『アラベスク』はバレエ漫画。それでも男子が読んでたんですか?

そういう固定概念を崩したのが3人なんだよ。それに、彼女たちはアドニス・シリーズでブレイクした。少年愛の作品。

――萩尾望都は『ポーの一族』と『トーマの心臓』、山岸凉子は『日出処の天子』、竹宮惠子は『風と木の詩』。みんなやおい系というか腐女子系というかBL系というか、そっち系でしたね。

テーマも固定概念を壊しているんですよ……って何の話だったっけ?

――押井さん、「漫画を雑誌で語る」とおっしゃってますよ。

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