プロレスはなんて情熱のあるコンテンツなんだ!【連載『神田伯山の“真”日本プロレス』一挙放送・延長戦!】

講談師・神田伯山とアナウンサー・清野茂樹がプロレスをとことんマニアックに語りつくす『神田伯山の“真”日本プロレス』(CSテレ朝チャンネル2)。その全7回の一挙放送に合わせて、ゲストの藤波辰爾を交えての座談会の後半戦をお届けする。今年のG1 CLIMAX 31 優勝決定戦の中継で副音声を担当することになった伯山&清野の意気込みも含め、秋の夜長に昭和プロレスのコク深いエピソードの数々を堪能していただきたい。

「プロレスはゴールのないマラソン」と言ったのは、新日本プロレスが生んだ天才・武藤敬司だ。今年、58歳にしてGHCヘビー級王座を初戴冠した武藤は、今も走り続けている姿をファンに見せてくれた。道半ばにして、最終回を迎えた『神田伯山の“真”日本プロレス』だが、この番組にゴールなんてそもそも存在しないのかもしれない。たとえ、あと1年かけて現在までのプロレス史をたどったところで、さらに語りたいこと、考察したいことは次々と出てくるだろう。座談会で伯山自身が言っているように、プロレスは語りつくすことができない、情熱的なコンテンツだ。この連載を通して、伯山と清野という令和の名タッグのゴールなきマラソンに伴走できたことはとても幸せだった。いつか、その続きがあることを願っている。

取材・文/K.Shimbo(プロレスに出会ってよかったことは、初対面でもプロレスファンとはすぐに仲良くなれること。結果、友達がたくさんできた)
撮影/ツダヒロキ(同じく、カメラマンとしてたくさんの「いい顔」に出会えたこと)

「実況で改めて考察する『1.4事変』」清野茂樹(実況アナウンサー)【私にとっての「1.4事変」】

『神田伯山の“真”日本プロレス』過去記事一覧はこちら

<プロフィール>
神田伯山(かんだ・はくざん)●1983年東京都生まれ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門し、「松之丞」に。2012年、二ツ目昇進。2020年、真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談師としてもさることながら、講談の魅力を多方に伝えるべく、SNSでの発信やメディア出演など様々な活動を行っている。現在は『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)などに出演している。

清野茂樹(きよの・しげき)●1973年兵庫県生まれ。広島エフエム放送(現・HFM)でアナウンサーとして活躍。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)で数々の名実況・名言を生み出した古舘伊知郎アナウンサー(当時)に憧れ、宿願だったプロレス実況の夢を実現すべく、2006年フリーに。2015年には新日本プロレス、WWE、UFCの実況を行い、前人未到のプロレス格闘技世界3大メジャー団体を実況した唯一のアナウンサーになる。『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)のパーソナリティーとしても活躍。

藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)●1953年大分県生まれ。アントニオ猪木に憧れて日本プロレスに入門し、1971年にデビュー。その後、猪木と行動を共にし、1972年の新日本プロレス旗揚げにも参加。ドラゴン旋風を巻き起こしてジュニア戦線で活躍したのちに、ヘビー級に転向。IWGPヘビー級王座や第3回G1クライマックス優勝など第一線で華々しい活躍を見せる。新日本プロレス社長などを経て、ドラディションなどを主宰。レスラー人生50年を経てもなお現役を貫き、様々なリングで活動している。2015年、世界最大プロレス団体WWE殿堂入り。

『神田伯山の“真”日本プロレス』
CSテレ朝チャンネル2 毎月第3土曜 午後11・00~深0・00(20212月-8)
『神田伯山の“真”日本プロレス 全話一挙放送 特別コメント付き』
2021年9月25日土曜 午前11・00~午後6・15

出演 神田伯山 清野茂樹(実況アナウンサー)
“最もチケットの取れない講談師”の神田伯山と、プロレスに魅せられた実況アナウンサーの清野茂樹が、テレビ朝日に残された貴重な映像を観ながら、プロレスの歴史をマニアックに語り尽くす。そのほか、当事者を招いて真相を探る「真のプロレス人に訊け!」や、現役プロレスラーの魅力を深掘りする「最“真”日本プロレス」といったコーナーも。

番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/recommend/hakuzan/

猪木さんが立候補した以上、絶対に当選させよう(藤波)

――新日本プロレスの歴史そのものである藤波さんに、どんどん質問させていただきたいと思います。1988年に『ワールドプロレスリング』(注1)がゴールデンタイムから撤退しましたが、選手としてはどう受け止めましたか?

藤波 屈辱でした。

清野 やっぱり…。

藤波 昔はテレビ朝日の古い社屋の玄関に入ると、視聴率が張り出されていて、常に20%とかで『ワールドプロレスリング』が上位だったから。それが、我々としては励みだった。お客さんが減ってきていることとか、何かをしなきゃいけないというのは分かるんだけど、手の打ちようがない。これまでの雰囲気がどこかで崩れてしまったというかね。

――組織の改革ということでは、1990年に藤波さんが新日本の中でユニットを作ったことがありました。

藤波 自分自身も現役だから、僕もまだ輝きたいけど、誰かを輝かせなければいけないというのもある。腰を痛めた(注2)こともあって、新日本の中で社内独立というか、自分で団体を起こして、相撲の部屋別制度のようなものをやろうと。我々の世界はミーティングでこれからこうしよう、お前が先頭になってやってくれっていう話し合いをするわけではなく、みんな感情で動いていくから。長州の維新軍のように、僕がドラゴンボンバーズ(注3)を持って。新日本はスケジュール管理と、興行という母体だけで、あとは部屋別の対抗戦というのが夢だったんだけどね。

――アントニオ猪木さんの参議院選挙への出馬(注4)に関する思い出も聞かせてください。

藤波 僕は腰の負傷で戦線離脱していて。リングに上がれないし、選挙カーに乗るのも痛かった。実はあの頃、僕は東京にいなかったんです。東京にいると、いろんなことが耳に入ってくるから、大阪にある家内の実家に逃げちゃって。だから、僕は選挙の大阪担当だったんです。

清野 猪木さんは比例で出馬されていたから、全国区なんですね。

藤波 そうそう。僕は大分出身だから、九州も担当して。毎日選挙カーに乗ってね。あの乗り降りが痛くて(笑)。いろんな思いがあっても、とにかく、猪木さんが立候補した以上、絶対に当選させようと一致団結していました。

――この番組の視聴者に大人気のドン荒川(注5)さんに関するエピソードも是非!

清野 荒川さんの方が後輩ですよね。対戦もほとんどなかったと思いますけど。

藤波 若手時代に何度かありますよ。ああいう性格だから、場を明るくするというか。猪木さんもおふざけは嫌いだったけど、どこか許してしまうみたいな。

清野 荒川さんは基礎ができていたからということでしょうか。

藤波 単なるおちゃらけじゃなくて、不器用なりに彼らしい試合ができていたからね。

清野 荒川さんはお酒も好きだったんですよね。

藤波 すごかった。

清野 呑む機会はありました?

藤波 それはみんなありましたよ。試合終わった後は、坂口さんも呑んでたし。猪木さんは、ほどほどに呑んでいなくなるという感じだったかな。猪木さんがいなくなった後が、本当の酒の場、みたいな(笑)。一升瓶があちこちに転がっていましたね。

注1・『ワールドプロレスリング』 テレビ朝日の新日本プロレス中継。1980年代、金曜日の夜8時というゴールデンタイムで、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)、『3年B組金八先生』(TBS系)と熾烈な視聴率競争を繰り広げた。昨年から、BS朝日で『ワールドプロレスリングリターンズ』が毎週金曜日の夜8時に放送中。この時間帯に『ワールドプロレスリング』が帰ってくるのは、実に34年ぶりのことだった。

注2・腰を痛めた 藤波は1989年のビッグバン・ベイダー戦で腰を負傷。椎間板ヘルニアと診断され、復帰には1年以上かかった。あまりの痛みで生活や睡眠にまで障害が出ることもあり、自殺を考えるほどだったという。

注3・ドラゴンボンバーズ メンバーは越中詩郎、獣神サンダー・ライガーほか。発足記者会見も行った。2019年、引退前のライガーがドラディションのリングに上がり、藤波、越中とタッグを組んで一夜限りの復活を果たした。

注4・アントニオ猪木の参議院選挙への出馬 1989年、猪木が中心となり政党「スポーツ平和党」を結成。参議院選挙に当選した猪木は国会議員として政治活動を始める。選挙時のキャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」。

注5・この番組の視聴者に大人気のドン荒川 “ひょうきんプロレス”で前座を盛り上げていたが、道場ではコーチを務め、シュートにも対応できる実力者だった。「熊本旅館破壊事件」をはじめ、さまざまな事件の背後に彼の存在があったという説もある。

プロレスのようなみんながまだまだ語りたいというジャンルはほかにないんじゃないか(伯山)

――こういう昭和プロレスのエピソードが大好きなファンは、本当に多いんですよ。

藤波 試合だけでなく、プライベートでも全国をまわるんですけど、やっぱり、プロレスファンっていろんなところに眠っているんです。それは昭和の熱い時代を見ていた方たちで。今、昭和ファンは行き場がないんじゃないかなと思っています。新日本は試合映像などの素材がこれだけ大量にあるんだから、そういうファンの行き場をうまく作ることができるんじゃないかな。

伯山 それで言うと、藤波さんも出ていらっしゃいますが、昭和のレスラーの方がYouTubeで、あの時の事件は…とか、発信していますよね。どこへ行ったらいいんだという昭和のプロレスファンの方たちは、そういったYouTubeとか、我々の番組とかで発散しているのかなと。古舘伊知郎(注6)さんがずっとYouTubeをされていて、最初はチャンネル登録者数という、いわゆる観客動員に苦戦されてたんですね。ところが、最近は増えていて、なぜかと言ったら、毎週金曜日に“プロレスの日”を設けたからで。古舘さんもいろんな見せ方がある方なんでしょうけど、ファンからしたら、プロレスの実況をしている古舘さんがやっぱり好きなんですよ。藤波さんがおっしゃるように、古舘さんにプロレスの話をしてほしいという、そういうニーズが今でも強い。

藤波 うちのドラディション(注7)は年に2回しか興行をやらないんだけど、やっぱりファン層はその世代が多いですね。行き場を失ったファンが(笑)。試合だけでなく、ゲストを呼んだり、映像を流したりもするんだけど、なんとなくホッとしてもらえるような構成にしています。

清野 何年か前にボブ・バックランドを招へいされてましたね。あれも昔のファンは嬉しいですよね。

藤波 そうですね。ミル・マスカラスにしても、ね。リングシューズを履いてくれれば一番いいんだけど、なかにはもう履けない選手もいるんです。そういう選手にも登場してもらって、当時のことを話してもらったりね。

伯山 Twitterなんかを見ると、猪木さんの昔の試合を掘り下げて、この時の猪木さんの表情は…とかやっているマニアがいっぱいいるんですよ。藤波さんの試合ももちろんそうですし。引退してから既に長い時間が経った猪木さんをずっと追いかけ続けている。プロレスはなんて情熱のあるコンテンツなんだって思うんです。みんながまだまだ語りたいっていう、ほかにないジャンルなんじゃないかと。そして、それは猪木さんや藤波さんが頑張ってきたことが今でも、しっかりと伝わっているからだと思います。

注6・古舘伊知郎 『ワールドプロレスリング』の実況で多くの名言を残した名アナウンサー。YouTubeの「古舘ch」では、“金曜日はプロレスの日”としてプロレス企画を配信している。

注7・ドラディション 2006年に新日本を退団した藤波は「無我ワールド・プロレスリング」を旗揚げ。2008年に団体名を「ドラディション」に変更した。往年の名選手も多く参戦し、オールドファンから熱い支持を受けている。息子のLEONAも所属。

これがきっかけで副音声ブームがくるような気がしている(清野)

――最後に、伯山さんと清野さんがG1 CLIMAX 31 優勝決定戦で再び、副音声をやられるということで、意気込みをどうぞ!

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