飛び石の上の青年【2021年8月 世田谷ピンポンズ連載「感傷は僕の背骨」】

飛び石の上の青年

 

文/世田谷ピンポンズ

 

 

鴨川デルタの飛び石の上に青年がひとり座っている。時刻はすでに二十四時近く。彼は何をするわけでもなく、ただじっとそこに座っている。

 

いまから五年前の夏、「ドキュメント72時間」で「京都 青春の鴨川デルタ」の回が放送された。あるひとつの場所をフォーカスし、三日間定点観測するこの番組は、その場所をたまたま訪れた人に淡々とインタビューし続けるだけなのだが、そこにインタビューされた人の人生が現れることが多く、ひとりぼっちの夜や人が嫌いになりそうなときに観たくなる。

 

番組スタッフが青年に話しかける。青年は毎晩鴨川デルタに来ては、大学を卒業するまでに何時間ここにいたかを記録するのだという。大学入学すぐに始めたそれは一ヶ月後の五月現在ですでに三千分(五十時間!)近くになっている。

 

「バイトもしてないし、楽しいことも何もないんで」

「可能性、たくさんあるじゃないですか」

「というのは今、僕が可能性をつぶしているということですか?」

思わず、息を飲む。

「(ほかの大学生は)他人が他人に合わせるために、自分をがんばって、取り繕っているように思います」

 

自分の言葉を何度も反芻するようにゆっくり青年は続ける。ともすれば依怙地とも偏屈とも取られかねない青年の言葉。でも本当は何が正しいかなんて誰にもわからない。この青年にいつかの自分を見た人もきっと多いのではないだろうか。

一方、カメラは鴨川デルタの対岸で楽しそうにムシャムシャと何か食べている女子大生三人組にもフォーカスする。彼女たちは鴨川デルタ中央ではしゃぐ大学生たちを見ながら「パリピやなあって眺めていたんです。パリピの中でも居心地悪いやつが一人ぐらいおるやろうな。あそこの輪に入ったら彼氏できそうやんね」と笑う。青年も彼女たちもあえて輪に入ることを選ばなかった。人それぞれ大切にしているものは違っていていい。

 

 

八年前に東京を離れて京都へやってきた。大学進学を機に東京へ出て、東京には十年住んだから、もう少しで京都での生活がそれに追いつくことになる。今年、実家を出てからの年月が実家で過ごした日々を追い越した。どちらもあとはひたすら過去の年月を引き離し続けていくだけだろう。時の流れは容赦がなさすぎて笑ってしまう。

 

夜遅くにバスタ新宿を出発した高速バス。真っ暗で静まりかえった車内に時折、高速道路のオレンジ色の灯りが明滅する。ろくすっぽ足も伸ばせないような狭い四列シートに縮こまったまま、辺りに音漏れがしないよう注意しながら、イヤフォンから聞こえてくる音楽に身をゆだねて時間が経つのをひたすら待っている。早朝になってようやくバスは京都駅八条口に着く。運転手さんから荷物を受け取ると、そこはかつて修学旅行で降り立ったきらびやかな京都駅ではない。京都タワーのある正面口とは違い、八条口はどこかデパートの従業員通用口を思わせた。裏からこっそり失礼します。観光はせず、寝ぼけ眼のまま何軒も不動産屋を巡り、最後にいま住んでいる家にたどり着いた。

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