押井守のサブぃカルチャー70年「ガンダムの巻」【2021年6月号 押井守 連載第21回】

今回よりテーマは『ガンダム』に。戦争をまっとうに表現した作品は『ガンダム』と『ヤマト』だけ、と語る押井さん。ミリオタが唸るような描写や表現に触発され、自身の作品でも試みたそうですが…。そんな押井さんが宮崎駿さんと常々同意することとは。
取材・構成/渡辺麻紀

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宮(崎駿)さんとよく話すのは
「『ガンダム』と『ヤマト』の2本のおかげ」

――前回は『怪奇大作戦』(1968~1969年)と実相寺昭雄監督について語っていただきました。映画の本質はジャンルものにあるというのが押井さんの考察で、アニメもそのひとつ。アニメの存在自体がキワモノで、そのなかだからこそ、普通のドラマがやったことのないテーマを扱うことが出来た。それが『機動戦士ガンダム』(1979年~)であり『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1974年)ということでした。

そうです。戦争をまっとうに表現したのは『ガンダム』と『ヤマト』だけ。私の言っている「まっとう」というのは「戦い」。『人間の條件』(1959~1961年)のような文芸映画の、戦争下における人間ドラマじゃなく、戦うことをメインにしたこと。戦争そのものを正面から描いたのは『ガンダム』と『ヤマト』だけです。『ヤマト』は特攻隊ものだけど戦闘シーンは別。いかにかっこよく描くか、がんばっていたからね。

――ということは、戦争をエンタテインメントとして描いたということなんですか?

戦争を悲惨なもの、戦争の悲惨さや悲劇を描いた映画やドラマは日本にもたくさんあった。でも、エンタテインメントとしてかっこよく描いたのは『ガンダム』と『ヤマト』が初めてですよ。戦争を娯楽映画にするのは日本じゃタブーだから。ドイツはナチスを自国で描くことが法律で禁じられたけど、日本では暗黙のお約束になっていたんです。

――押井さんは『ガンダム』がオンエアされたとき、驚いたんですね。

そうだよ。しかも本格的だったからね。ディテールがハンパなく本格的だった。

たとえば対戦車ミサイルが飛んで行くときに、ちゃんとワイヤーを引いているの。誘導ミサイルなので、ワイヤーがループして飛んでいるんだから、これはもうホンキだって。もうびっくりだった。魚雷だってワイヤー引いていたからね。ワイヤーは当時の最新の技術で、それを知っているということは筋金入りのミリオタということ。しかもそれを、TVアニメで堂々とやっているんだからびっくりですよ。

――富野(由悠季)さんがミリオタということですか?

そう、もうゴリゴリのミリオタ。軍事を、徹底的にディテールにこだわって作っていた。ロボットだって、どこかの博士が作ったんじゃなく、最初からちゃんと兵器として作られている。軍用兵器としてのロボットなんて初めてですよ。

サンライズのアニメは、ロボットアニメという名目の軍事アニメだった。だから、みんなびっくりしたの。当時のサンライズは、一時期の円谷(プロダクション)に似たところがあって、ロボットアニメの世界で何をやってもよろしいという空気があったんですよ。

で、私も『ガンダム』に影響されて、「よっしゃ! ロボットアニメ、やるぞ!」という気分になった。私も富野さんに負けないミリオタだったから(笑)。

――でも、やってませんよね?

はい。なぜなら、そのころは(スタジオ)ぴえろにいたから。ぴえろにいる限り永遠に戦争ものなんて作れないんです。

当時の私はぴえろで『ニルスのふしぎな旅』(1980年)等の児童文学系をやっていて、そのあと『うる星』(『うる星やつら』<1981~1986年>)を手掛けるようになった。ぴえろで『うる星』のようなドタバタギャグアニメをやるのは異色だったんだけど、児童文学やっているより面白いからやっていたんです。

この手のギャグアニメでいいのは「何でもアリ」というところ。戦闘機を出しても戦車出してもOKだったから、ドッカンドッカン出してましたよ。意味があろうがなかろうがお構いなしで。でも、それで満足は出来ない。やっぱり小道具として出すのではなく、ちゃんとした兵器として使いたいわけですよ、ミリオタなら。

それをやっていたのが『ガンダム』だったわけ。だから、「ロボットアニメ、作るぞ!」になる。

――チャレンジはしたんですか?

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