課題「グスコーブドリの伝記」【岩井秀人 2020年7月号 連載】

岩井秀人がワークショップ参加者や劇団員に「ひどい目に遭った体験を教えてほしい」と取材して聞いたエピソードを、体験者自らが脚本化し、自ら演じる「ワレワレのモロモロ」という企画がある。この連載は、岩井がライフワークとしているその企画の番外編として、岩井が経験または収集したエピソードを、岩井のフィルターを通して文章化したものである。

20年以上前の話だが、演劇の大学に通い始めた頃、合宿があった。

新入生同士の親睦を深めるため、清里に3~4日間、滞在するのだ。その間、何をするのかといえば、もちろん「演劇作り」をするのだ。なんせ演劇の大学である。

かといって、教授たちが何か具体的に教えてくれるわけではない。演劇は教えられるものではないということは、男岩井も20年以上現場に立ってきて理解したのだが、この大学のある教授は、なかなかにこの「特に具体的に教えない」ことを徹底していた。そこだけは感心させて頂きたい。伝わりにくいかもしれないので補足するが、これは完全な皮肉である。

例えば授業の一つで谷川俊太郎さんの「これはのみのぴこ」という詩を元に演劇を作る、という課題があった。それ以上の指定はなんら、ない。みんな必死になって、踊りながら「の~みの~ぴこ~」などと狂人のように叫んだり、なんの意図か、キャッチボールするフリをしながら「のみの~~~ぴこ!」つって投げたりしていて、高校演劇出身の人たちには何かしらつながる文脈があるのか、笑っている人もいたが、僕はそういったものは常に早く帰りたい気持ちで見ているしかなかった。

結局僕はというと、クイズ番組の司会として「これは~のみのぴこ~」と、出題しているトーンで話し、「ブブー!」の感じで「こ~!」とか「れ~!」とか言って、正解の発表で毎度毎度「これは……の~みのぴこ~!」とやっていた。そして傷だらけになった我々を見て、担任の教授は決まって「ん~~~どうでしょう~~!?」、満面の笑みで「どうでしたか!?」と、こちらに聞いてくるのである。知るか。である。笑ってないで教えろボケともいえるのである。

最近では「国民のためにお金をある程度使ったから増税しちゃう」という、ショートケーキのホイップつける機械の先っぽについたホイップカスを拭く仕事に次いで楽チンな仕事が明らかになったが、さらにまたそれと同じくらいの楽チンで糞食らえな仕事である。これで教授どもは年間700万近く貰ってるらしい。

さて、話は戻ってそんな大学の合宿の課題は、宮沢賢治著「グスコーブドリの伝記」だった。改めてあらすじなどを調べようとも思ったが、それさえも嫌になるくらいの出来事が合宿で起きたので、調べない。この合宿のせいで原作さえ嫌いになった。これが村上春樹のいう「洗練された復讐」なのだ。絶対に違う。

5~6人のグループに分けられ、なんだか布切れとか渡され、あとは原作となる「グスコーブドリの伝記」が渡される。「これを演劇空間に立ち上げよ」である。またもや楽な仕事してんなあ。我々が創作をしている間、教授たちは何をしていたのだろうか。

さて、とはいえ課題は始まったわけである。「銀河鉄道の夜」以外は読んだことのない男岩井と仲間たちだったが、ともに解読した結果、「これは『自己犠牲の物語』である」という結論に至った。そこで、他のチームの様子を見るにただ忠実に原作をなぞっているようだから、我がチームはオリジナル脚本にしようということになった。あらすじは以下。

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