メジャーなフィールドを離れ、草の根のネットワークを使って全国を旅して歌う“ツアー・ミュージシャン”たち。その在りようを伝える「旅と酒とブルーズと」。6日連続でお届けしている第1回は、リクオ、有山じゅんじそれぞれのインタビューに続いて、2人の対談をお届けしよう。1989年、まだメジャー・デビュー前だったリクオが、有山じゅんじに誘われて経験した初ツアー。その時のリクオのドキドキ感はいかほどだっただろう。まだアマチュアのリクオをツアーに誘った有山じゅんじの思いは? 当事者ならではのオモロい話、感心する話が満載です。(大阪・ミナミのバー「SOPHIA」にて)
取材・文/染野芳輝
リクオ「“今度、久しぶりにツアーに出るんやけど、独りじゃ寂しいから、ついて来てくれへん?”って有山さんがおっしゃって」
ーー有山さんに誘われてツアーに同行したのがリクオさんにとってのツアー初体験だったそうですが、そもそもお二人はどうやって出会ったんですか?
リクオ まだ僕がアマチュアの頃、大阪のライヴハウスで、石田長生さんに自分の演奏を録音したカセットテープを渡したんですよ。聴いてください、って。そうしたら次の僕のライヴを石田さんが観に来てくださって、もうびっくりしましたけど、そのあと色々話をさせてもらって。そのときに石田さんが“リクオと有山は絶対に合うから、俺が紹介したる”って言ってくださって。で、1988年の年末に扇町ミュージアムスクエアで西岡恭蔵さんがクリスマス・パーティーをやったんですけど、そこで有山さんと初めてお会いしたんですよね。
有山じゅんじ 1988年ってことはないやろ。(有山さんの2ndアルバム)『聞こえる聞こえる』のときにはもうリクオと一緒に演るようになってたんやから。あのアルバムが出たのは87年やろ?
リクオ 違いますよ。『聞こえる聞こえる』は90年ですって。だいぶ記憶が……(笑)。
有山 そうだったか? う~ん。
ーー僕もよく、お前の記憶は時系列がめちゃくちゃだなって言われます。おっさんあるある、ですね。
リクオ で、そのあと、有山さんが磔磔(京都の老舗ライヴヴハウス)で弾き語りライヴをやった時、僕は客として観に行ったんですけど。
有山 そやったね。あの時はもう磔磔でバイト始めてたん?
リクオ いや、まだバイト始める前だったかも。学生の頃、磔磔でバイトしてたんですよ。で、そのライヴで、有山さんが客席にいる僕に気付いてくれて、ステージに上がれ、と。それで「ジョージア・バウンド」だったかな、ブルーズを一緒に演奏させてもらったんです。
ーーいきなり、ですか?
リクオ 無茶振りでしょ?
有山 もう面識はあったし、その前に石田くんから“ええピアノ弾きがおんねん”ってリクオのことは聞いてたから、きっと大丈夫と思ったんや。実際、ええ感じやったで。
リクオ 僕もめちゃ嬉しかったです。それで、打ち上げの時に、“今度久しぶりにツアーに出るんやけど、独りじゃ寂しいから、ついて来てくれへん?”って有山さんが誘ってくれて。それが僕の初めてのツアー体験なんですけど、寂しいからついて来てくれっていうその誘い方がね、なんとも有山さんらしいというか。ツアー未経験の僕にプレッシャーをかけまいとする、優しい誘い方だったなぁって、後から思いましたね。
有山 いや、ほんまに寂しかったんちゃうかな(笑)。で、僕が運転して2人でツアーしたんやけど、“リクオ、ちょっと待っててくれ”言うて車停めて、道端で吐いたりな。
リクオ 有山さん、吐いたのは僕ですよ。もう、ひどい二日酔いで(笑)。
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