国内のみならず今世界で注目を集める三宅唱監督の最新作『ケイコ 目を澄ませて』が現在公開中。今作は今年2月に開催された第72回ベルリン映画祭に出品されたほか、ロンドン映画祭や釜山映画祭など世界各地の映画祭で上映され、高い評価を得ている。
あらすじ・・・嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコ(演:岸井ゆきの)は、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムで日々鍛錬を重ねる彼女は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。母からは「いつまで続けるつもりなの?」と心配され、言葉にできない想いが心の中に溜まっていく。「一度、お休みしたいです」と書き留めた会長宛ての手紙を出せずにいたある日、ジムが閉鎖されることを知り、ケイコの心が動き出す――。
TV Bros.WEBでは主演の岸井ゆきのにインタビュー。2022年に公開される映画の中でも間違いなく最高傑作の一つであり、岸井のキャリアにおいても代表作となるであろう今作について、彼女自身、どんな想いがあるのか。三宅監督との初対面のエピソード、役作りのトレーニングなどの裏話とともに語ってくれた。
取材・文/編集部
撮影/Tim Gallo
【Profile】
岸井 ゆきの(きしい・ゆきの)
●1992年2月11日生まれ、神奈川県出身。2009年女優デビュー。以降映画、ドラマ、舞台と様々な作品に出演。2017年映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』(森ガキ侑大監督)で映画初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞受賞。2019年『愛がなんだ』(今泉力哉監督)では、第11回TAMA映画祭最優秀新進女優賞ならびに第43回日本アカデミー賞新人賞を獲得。そのほか近年の主な出演作には、映画『神は見返りを求める』(22/吉田恵輔監督)、ドラマ「パンドラの果実」(22/NTV)、「恋せぬふたり」(NHK)などがある。
目次
「クランクインする前から築くことができた信頼関係をとことん信じていたんだと思います」
ヘアメイク:村上綾
スタイリスト:Babymix
━━今作ではクランクインの3ヶ月前からボクシングジムに通い、トレーニングをされていたとのことですが、実際にトレーニングを重ねることで、どのような発見がありましたか?
まず感動したのは頑張ったら頑張った分だけちゃんと筋肉がついて、パンチが早くなって、強くなっていくこと。特に糖質制限は「こんなにも身体が変わるんだ」ということを実感できました。2ヶ月前から糖質制限は始めていたのですが、脳に糖分が運ばれないから、頭も回らないし、身体も重くなる。それでも撮影シーンではボクサーとして速く動かないといけない。そんな状態でも、一瞬の集中力を使うことで、身体はついてくるんです。トレーニングを重ねることで、その感覚とともに「こういうことをケイコはやっているんだ」ということを実際に感じることができました。ケイコに近づいていくというより、“ケイコになっていく”という感覚に近かったと思います。
━━トレーニングには三宅監督も一緒に通われていたんですよね。
はい。それに監督だけでなく、助監督も撮影監督もどんなトレーニングをしているのか見に来てくださったんです。そのトレーニングで共に過ごした時間の中で監督とたくさんお話ししたのですが、その時の話題も、今作についてのお話しではなく、「こうやったら縄跳び早く飛べるよね!」みたいな、その時にやっているトレーニングのことでした(笑)。他にも、これまでどんな映画を観て育ったのか、そういったお互いのパーソナルな部分を知ることができる会話を交わして。普段、映画を制作する時に3ヶ月間も監督と俳優が時間を過ごせるなんてことは、まずないんです。そうやって監督たちの人となりを知ることができる時間があったから、撮影が始まってからコミュニケーションで躓づくことは一切なかったです。
━━その三宅監督についてお話を聞かせていただきたいのですが、今作は岸井さんが2018年下期に放送された朝ドラ『まんぷく』出演時に今作のオファーを受けて、2020年に三宅唱監督がメガホンをとることが決まったんですよね。その頃から『Playback』などで世界的に注目を集める映画監督であったわけですが、失礼ながらイカツイというか強面な印象があるのですが…初めてお会いした時の印象はいかがでしたか?
三宅監督に初めてお会いしたのは、プロデューサーを交えての打ち合わせでした。その時は全員、力がすごく入っているから、その顔合わせが本当に厳かな空気で(笑)。私もすごく緊張していたし、三宅さんも緊張されていて。それに、今おっしゃったように三宅さんはちょっと…。
━━強面というか。
う〜ん、なんていえばいいんだろう…。
━━ラッパーのような?
……ラッパーのような(笑)。もちろん、事前にWikipediaで調べていてお顔も知っていたんですけど、実際にお会いすると体も大きいのでドキッとして。
━━つまり第一印象は…。
怖かった(笑)! 実際は全然怖くないんですけど、第一印象は怖くて。そのことを話すと、今となっては三宅さんも「ウケる〜」って、笑ってくれます。初対面の頃は私もトレーニングに入る前でしたから、何枚も壁がある状態だったんです。だからこそ三宅監督が一緒にトレーニングに通ってくださって、人と人として会話できたことが貴重な時間だったと思います。
━━今作ではとても印象的な画があります。一つ例を挙げると、冒頭のケイコが着替える場面で、ケイコの逞しい背中を更衣室の鏡が映し出します。あのシーンを撮影する際に、岸井さんには鏡の位置や画の構図、その意図を都度伝えられて撮影されていたのでしょうか?
それはありませんでした。「ケイコの背中の筋肉を見せたい」とは思っていて、そのために背中のトレーニングをしていましたが、それがどのシーンで映されているのか、私は把握していませんでした。
━━では完成した作品をご覧になって、どのように画になっているのか、分かったシーンも少なくなかったのでしょうか?
そうですね。もちろん撮影する時にどこにカメラがあるのか、その位置は分かっていましたが、どんな画になっているのかは分かりませんでした。フィルムの撮影なのでモニターで確認することもできなかったので、初号試写を観て「こんな風に、映画になったんだ」と思いました。
━━どんな画になっているのか、把握できなかったことに不安はなかったのですか?
岸井:それはなかったです。それは月永さん(※)が撮影を手がけた映画を観ていたということもありますし、月永さんと撮影が始まる前からたくさんお話しさせていただいていて。現場では、クランクインする前から築くことができた信頼関係を、とことん信じていたんだと思います。
※月永雄太・・・今作の撮影監督。今作のほか、青山真治監督『東京公園』や沖田修一監督『キツツキと雨』『モリのいる場所』、松尾スズキ監督『ジヌよさらば〜かむろば村へ〜』など数々の映画で撮影を務める。
「この映画に出会えた感動は消えない。ずっと好きな作品だし、きっとこれから追いかけてしまいます」
━━今作の主人公・ケイコは生まれつき耳の聞こえないプロボクサー・小笠原恵子さんがモデルとなっていますが、その描き方は同情を誘うものでもなく、ケイコの人生で大事な岐路となる時期とともに、一人の人間としての生活を追っています。今作に出演することで新たな発見はありましたか?
この作品は、脚色が多くないですよね。流れる音楽も、ケイコの弟(演:佐藤緋美)が演奏している曲くらい。口語としてのセリフは二つしかない。ケイコはお喋りではないので、手話のセリフも、あまりない。でもケイコにも気持ちは当然あって、その気持ちがちゃんと映っている。フィルムを通しても、ちゃんと気持ちは映像に残る。想いというものは、やっぱり目に見えないけど、画面に映る。そのことを改めて感じましたね。
やっぱり、喋りすぎてる映画は結構あると思うんです。説明も多くなってる気がします。そんな中で、この映画はセリフが少ない分、観ている人は「彼女は/彼は、今どう思っているんだろう?」って感じることができるし、考えることができるし、自分と重ねることができる。そのことで、この作品が少し大きくなるんじゃないかな。そんな映画の可能性について、考えていました。
━━この映画は、観客を信頼している映画だと思います。ただ一般的には多くの人がシーンに、また結末に明確な答えを求めたがります。例えば、検索サジェストに「作品名 解釈」と表示されて、それを辿ると、作品の結末の解釈に正解があるように書かれている。岸井さんは「解釈を観客に委ねる映画」について、これまでどんな向き合い方をされていたのでしょうか?
私はそういう映画──説明しすぎない作品が好きですね。自分で「どうなったんだろう?」と想像させてくれる映画。この作品も、何かを掴む/拭くような、そういう作業を追うショットがあります。日常の中の僅かな動き…目線の動き、指先の微か震え。そこで「物語が大きく変わりました」ということではないけど、確実に何かが起きている。そんなやり取りや動きを捉えている作品が好きです。
『アベンジャーズ』シリーズも、すごく大好きでよく観るんです(笑)。でもやっぱり、生活に基づいたものが好きですし、自分もそういう作品を作ることができて、すごくうれしかったです。
━━岸井さんご自身では、完成した今作を観て、どんな映画だと感じましたか?
これは「ケイコの生活であり、生き方である」と思いました。ボクシング映画でもなく、耳が聞こえない人のお話でもなく、一人の人間が生活すること、なにかに情熱を傾けること、生きることが、この映画には映し出されています。たまたまケイコはボクシングをやっていたけど、この映画に出てくる音や日常は、ケイコじゃなくても必ずあるものです。この映画はケイコにフォーカスしているけれど、今の時代を生きること、人と共存することを感じることができる映画だと思います。
━━今作のマスコミ向け試写で私が鑑賞した翌日に、コント番組『LIFE!』について岸井さんにインタビューをさせていただく機会があって。今作の具体的に良かった点を伝えようと臨んだんですけど、いざ言葉にしようとすると、上手くお伝えできず…。あとでテープを聞いてみたら「すごかったです…」というのを6回くらい言っていて、その後も緊張しながらお話ししていました。
ちょっとうるっときていましたよね。
━━やっぱり分かりましたか?
分かりました(笑)。嬉しかったです。
━━その時の岸井さんは、前日にスクリーンで観ていたケイコとは顔が全く違っていたので混乱していたこともあります。今でもプライベートでボクシングを続ける理由に「ケイコ」でいた記憶を忘れたくないとのことですが、今でもご自身の中にケイコがいたときの感覚はあるのでしょうか?
「もうケイコじゃない」と思うことの方が多くて、寂しいです…。クランクアップした後は、腕も痛かったし、身体中がキシキシしていたので、身体が覚えていて。でも時間が経って、体重は減っているのに、身体はケイコでいる。もう違うということはショックだったのですが、すぐに次の映画の撮影に入らなければいけないから、ちょっとした混乱の中にいました。
━━2018年に岸井さんが今作のオファーを聞いたときは、まだ何も決まっていない状況。そこから年月を経て、2020年に監督が決まり、海外での映画祭での上映を経て、ついに公開されます。紆余曲折の中で、この作品への感覚はどのように変化していったのでしょうか?
当初は出演が既に決まっていたことだったので不安が大きかったです。でも、この作品のお話が今来たとしても、やっぱり不安だと思うんです。撮影は1年8ヶ月前くらいに行われたんですけど、あのお芝居も撮影も、あの時にしかできなかったんだと思います。時間をかけて、監督が決まって、スタッフが決まっていって。この映画が16mmフィルムで撮られたことも、ベルリン映画祭に行けたこともそうですし、この映画が見たことない景色を見せてくれたということが、私にとって大切な経験になりました。それに、私自身が映画としてもこの作品がすごく好きなんです。だから、この映画に出会えた感動は消えない。ずっと好きな作品だし、きっとこれからも追いかけてしまうものだと思います。
━━追いかけるというのはこの作品を「超えようとする」ということでしょうか。
「超える」ことはできないと思うんです。どの作品においてもそうですが、同じ役をもう一度やらない限り、越えることはできないんだと思います。
この作品には私にとって「映画はこうであって欲しい」というものが詰まっています。準備期間がしっかりあったことも、画づくりの感覚も、プロフェッショナルが集まって各々が素晴らしい仕事をしていることも、現場にいる時から肌で感じられました。私は映画を観ることも好きだけど、改めて「ものづくり」が好きだということを気づくことができました。だから私にとって本当に特別な作品で、奇跡みたいなことが重なって生まれた作品です。でも、本当はこういうことが当たり前になって欲しいとも思います。そういう意味で、これから他の作品にも追い求めているんだと思います。
━━本日はありがとうございました。最後にお聞かせいただきたいのですが、岸井さんは「好きなシーンは?」という質問に「全てのシーン」とお話しされていました。私も多くのシーンが印象に残っています。コンビネーションミット、電車が走る高架下、後ろから自転車がケイコを無理矢理追い越そうとするシーン、鏡の前で会長とシャドーボクシングをするシーン…。岸井さんが思い入れがあるシーンをあえて一つ挙げるとすれば、どのシーンでしょうか?
本当に好きなシーンがいっぱいあるんですけど、“私自身が気づかなかった”という意味で一つ挙げるとすれば、ケイコが眠りから目覚めるシーンです。ケイコは、扇風機の風を使って起きるんです。
耳の聴こえないケイコは、アラームの音が鳴っていてもそれには気づかない。アラームの振動や光はあるけど、それだけでは気づきにくい。では、どのようにして決まった時間に起きるのかと言えば、ケイコは起きる時間になると扇風機が作動するようにタイマーで設定していて、そこから吹いてくる風で起きるんです。指導に入ってくれた先生からお話を聞いていたんですけど、自分だけでは気づきませんでした。そういった目に見えない、生活の奥にある習慣を描いているこのシーンは強く印象に残っています。
作品情報
『ケイコ 目を澄ませて』
2022年12月16日(金)公開
出演:岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和
監督:三宅唱
脚本:三宅唱、酒井雅秋
撮影:月永雄太
編集:大川景子
原案:小笠原恵子『負けないで!』(創出版)
制作プロダクション:ザフール
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2022年/カラー/ヨーロピアンビスタ/5.1ch/99分
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
予告映像
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