『ドレスコーズの音楽劇《海王星》』リリース記念 志磨遼平インタビュー

 ひさびさに会った志磨遼平は、いつものように朗らかな表情をしていた。しかしコロナ禍に入って以降、ライブの本数自体は減ったものの、彼は相変わらず変容を続けている。穏やかに見えるその内面はつねにうごめき、うねり、膨張や繁殖をくり返しているのだろう。
 ドレスコーズのニューリリースはCDアルバム『ドレスコーズの音楽劇《海王星》』という。これは昨年末から今年の初めまで上演された舞台『海王星』の音楽を収めたものだ。
 眞鍋卓嗣(なんと90年代後半から活躍したネオアコバンド、Roboshop Maniaの元ギタリストでもある)が演出した『海王星』は、これまで未上演だった寺山修司の音楽劇で、その舞台化にあたり、志磨が音楽監督に指名されたわけである。かつて、毛皮のマリーズというバンドを作った志磨にとって寺山は言うまでもなく永遠の憧れであり、目指すべき存在。そして今回の戯曲の上演では寺山が残した劇中の詩にメロディと演奏を当てることとなり、<作詞/寺山修司 作曲/志磨遼平>のクレジットが実現したのである。そしてドレスコーズはその舞台上で連日、生演奏をくり広げ、令和時代の寺山ワールドの表現において大きな役割を果たしたのだった。
 今度のアルバムはその劇中歌を公演終了後にあらためて録音したもので、キャストが唄ったヴォーカルは基本的には志磨が担当。寺山の作品に親しんだ者にとってはツボにハマる瞬間も多い仕上がりになっている。志磨にはその舞台についてのあれこれと、そして今考えるドレスコーズの次のステップについて、語ってもらった。その内面は、世界情勢も感じながら、やはり膨張と繁殖をくり返しているようだった。

取材・文/青木優 撮影/ツダヒロキ 編集/土館弘英

志磨遼平

──というわけで『海王星』が終了してから3ヵ月以上が経ったわけですが。今振り返ってみて、どうですか?

 そうですね……最初は「寺山修司の未上演作品」とか「寺山修司の音楽劇」とか、枕に「寺山修司の」が必ずついてる感じだったんですけど。いざお稽古が始まって、みんなで作り上げていって、本番が始まって……いつの間にか「寺山修司の」ではなくて、自分たちが作った新しい作品だ、という自負みたいなものが生まれて。本当に素晴らしい上演だったんです。それが終わって、こうしてちゃんとアルバムに残すことができて、ようやく「寺山さんと共作できた」という実感が湧いてますかねぇ。

──共作ね。作業机の前に寺山さんの写真を貼ってるのをTwitterでも投稿してましたよね。

 あ、そうですね。作ってる時はずーっと、寺山さんの写真を目の前に貼ってました。今はそこに新しい、別のものを貼ってますけど(笑)。次の新しいヒントになるものを。

──上演している間はどんな感覚でしたか?

 自分たちバンドは、舞台のさらに上(ステージに組まれた台の上方)にいて。僕は演奏に徹して、歌うのはすべて役者さんたちだったんです。そこで毎日、みんなが演じているセリフや歌を聞くわけですね。で、それが全部寺山修司の書いた言葉なわけですよ。当たり前ですけど。そうやって毎日、朝から晩まで寺山修司の言葉を浴びながら過ごす……なんてぜいたくな生活だろう、と思ってました。ぜいたくだったなぁ。

──この劇中歌を作る際にはどんなことを心がけました?

 まず、寺山さんの書かれた歌詞を一言一句、”てにをは”一つに至るまで、絶対に変えたりはしょったりせずに作るということですね。台本に書かれてあった歌詞は、わりと自由律というか、文節とか音節がそろってないものがほとんどだったので、歌詞としては歌いにくい形だったんですけど。それをなんとかして(元の詩を)変えずにうまく曲にするぞと。あとは……1963年に書かれた戯曲なんですけど、「もしも『海王星』を寺山さんが上演していたらきっとこんな音楽がついてたんじゃなかろうか」っていうのを妄想で作るような。あの当時、寺山さんの周辺で活躍されていたミュージシャンを集めてこの舞台の音楽を作るなら……というようなことを考えながら作りました。

──ロック・サウンドだけど、メロディにもサウンドにも、ちょっとレトロな感じがあって。僕は「酔いどれ船」を聴いて、寺山の『書を捨てよ町へ出よう』の中の曲を連想しました。

 ああ、「ピース」とか「ダダダ」みたいな。まさにその通りです。J・A・シーザーさんとか石間ヒデキさんとかクニ河内さんとかがやってたことのオマージュですね。寺山ファンが聴けば一発でそれとわかるような。

──J・A・シーザーといえば、彼のバンド(J・A・シーザーと悪魔の家)からコーラスの方たちを今回のレコーディングに招いてますね。

 そうなんです。やっぱり参加いただくなら寺山さんの血筋の方に、と思いまして。正統後継者の方々、と言いますか。

──「子守唄」では浅川マキを思い出しました。

 あはははは。すべてご名答でございます。はい。

──だから志磨くんが培ってきたものの中に寺山成分がいかに高いかがわかるという。

 ほんとそうなんですよ。浅川マキさんもはじめは寺山さんのプロデュースで世に出られた方ですしね。宇野亞喜良さんにしても美輪明宏さんにしても、僕が好きになるものにはだいたい寺山さんが関係してるんですよね(笑)。そうやって僕が今まで受けたさまざまな恩を返すというか、そういうのでできている僕のすべてをこの『海王星』のために捧げます、という気持ちでした。

──ただ、役者が唄うシーンも多い舞台で連日演奏をするのは大変じゃなかったですか? 過去に経験があるとはいえ。

 『三文オペラ』(2018年)も同じように毎公演生演奏でしたけど、今回のほうが圧倒的に数が多かったので……全部で37公演かな。地方公演に行くのも、一日二公演やるのも、どっちも初めてでしたし。でもそんなに大変なことはなかったように思いますね。とにかく役者のみなさんのセリフをじっと聞いて、演奏に入るタイミングを逃さない。それだけ気をつけて。

志磨遼平

過去にとらわれない新しい表現と、ファンが望む音楽の狭間で

──志磨くんがメイクをしていたのも演出の眞鍋さんから言われたわけですか?

 そう。白塗りメイク。やっぱり寺山劇といえば白塗りですから。なかなか感慨深いもんでしたよ。メイクから衣装から全部、「こういうふうに」って提案されたものをそのまま。……あ、はじめは銀髪のカツラをかぶる予定だったんですけど、それは「ちょっと恥ずかしいです」って免除してもらって(笑)。

──で、志磨くんは「神の役割」を与えられているということでしたよね。

 そうなんです(笑)。神様になれてたかなぁ。大丈夫だったんだろうか? でも面白かったです、神様役。「この『海王星』の世界では、音楽は登場人物の運命を左右したり、翻弄したりする役割ですよね。なので、その音楽を司る志磨さんはこの世界の神様ということになりますが、いいですか?」と眞鍋さんに言われ、「こんなんでよければ」と応えまして。だから僕がパッと手をあげたり、タクトを振ったりすると、だいたい登場人物の身によくないことが起こる、という。

──たしかに要所要所で場を仕切ってる感がありますね。そして寺山ファンには「ここまでやってくれるんだ」という音楽になっていると思います。

 ああ、よかった。うれしい。昔ね、こんなこと言うのもアレですけど、僕が観に行った寺山作品の中には「う~ん」と思うようなものもあったんですよ。だって寺山さんのこと、超好きだから。「わかってないなあ」なんて一丁前に思うことがあったわけです。だから同じように寺山さんの熱烈なファンの方が観に来て、がっかりされないような音楽を作ったつもりです。かといって、演出の眞鍋さんが目指されてたのは、いかにも寺山修司っていうような、アングラで土着的なイメージとかじゃなくて。「そういうものにとらわれないで、新しい表現として成立させたい」とよくおっしゃってたんです。それを受けて、役者のみなさんやスタッフの方々が毎日毎日、稽古場でああでもないこうでもないと試しながらお芝居を作り上げていくわけです。その中で「僕の役目って何だろな?」と考えたら……やっぱり「寺山修司を好きな人も満足させる」ことじゃないかな、と思って。アングラおたくは僕が足止めしてるから、みんなは先に行ってくれ! 俺に構うな! みたいな(笑)。こっちは毛皮のマリーズですからね。

──なるほど、わかります。ただ、この『海王星』自体は天井桟敷以前の作品で、後年の寺山の作風とは違いますよね。

 そうそう、そうなんですよ。そもそも原作がそんなに寺山的なわけではないっていう。本人なのに。

──ですよね。トラウマティックな感じはあまりなくて。

 そうそう。見世物小屋みたいな感じとかはね。グロテスクさもないし。奇をてらった演出とかが指定されてるわけでもない。

──どっちかというとピュアな印象が強いストーリーですよね。

 そうなんです。だから(寺山が)若い頃に書かれてた、少女向けの詩集とかね。ああいうのに近いですね。すごくロマンチックな。うん。

──この舞台では弘前にも行ったそうですが、どうでした? 寺山の生まれた街なわけですが、特別なこととかはありました?

 いや、それがないんですよ。本当だったら寺山さんの記念館とかにも行きたかったんですけど、とにかく感染対策しないと、ってことで、むだな外出は一切しませんでした。寺山修司記念館、僕まだ行ったことなくて。今回は絶対に行こうと思ってたんですけど、行けず。しょうがないんですけど。

──そうでしたか。でもとりあえず無事に全公演できて、良かったですね。

 ほんとに奇跡です。毎週PCR検査して……スタッフも含めて60人くらいのカンパニーでしたけど、誰か一人でも陽性となれば、やっぱり(公演は)止めてたでしょうし。稽古から千秋楽まで3ヵ月くらい、何ごともなかったのはほんとに奇跡。

──中止になった舞台も多いですからね。ところでこういう劇中音楽は、自分のいつもの作品と比べてどういうものですか? 作るにあたって、意識の違いとかがあるように思うんですが。

 そうですねえ。でも僕、そんなに器用なほうではないので、どんなお仕事でもお引き受けするわけではないんですね。今回で言えば、やっぱり寺山さんの作品であるからお役に立てたっていうのはあると思うので。つまり、自分がいつもやってることとそんな変わんないことをやらせてもらえたので。だから自分がドレスコーズでやってることとかと、実はそんなに大きな違いはないんですよ。僕の中では。

──ただ、寺山さんの世界に憑依して曲を作ったり音を出したりすることに、スペシャルな感じはあるんじゃないですか?

 それは確かに。僕、そもそもあんまり共作というのをしたことがないんです。バンドでも。そういう、ただでさえやったことがないことを、この世にいらっしゃらない方とするわけですから、ものすごくスペシャルでしたね。『三文オペラ』の時もそうでしたけど。今回は寺山さんの遺した戯曲の中に、「こういうふうな音楽をつけるべし」っていう注文がところどころ書いてあったんです。「激しく崩れ落ちる」とか「わりと性急なテンポ」とか「これは妖しげに」とか。それは、なんかこう、寺山さんからの発注を受けて作る気分というか。あの世とこの世のリモートワーク、みたいな(笑)。だからほんとに、部屋の作業台の前に貼ってある寺山さんにいちいちおうかがいを立てながらでしたね。「こんな感じでどうですかね?」という(笑)。

編集部・土館 ドレスコーズの延長線上という話で言うと、アートワークは『バイエル』(2021年)に続いて、今回も宇野亞喜良さんですね。

 そうなんですー。2作連続で宇野さんの絵をいただけるなんて、ねえ? ほんとに、つくづく僕は果報者ですよ。

──宇野さんは天井桟敷のデザインを担当されてましたからね。で、これが5月にはWOWOWでOAされるわけですが、志磨くん自身は今、何をやってるんでしょうか?

 ああ、えっと……『海王星』終わって、また別の、新しい仕事をやってまして。それは世に出るのがだいぶ先の作品で、今はまだ言えることが何もないのですね。でも、それをひたすら作ってました。ずーっとこもってやってて、それが一段落したら、ようやく自分のことができるな、と。去年の後半からずっと『海王星』にかかりっきりだったので、ひさしぶりに自分の本道に、ようやく。

志磨遼平

『バイエル』に続く、志磨遼平(ドレスコーズ)の次期構想

──僕が志磨くんとこうして対面で話すのはデビュー10周年記念サイトのインタビューで会った2年前の3月以来なんですね。そのインタビューの最後に『バイエル』のアイデアを話してくれたんですよ。

 あっ! そうでしたっけ。はいはいはいはい。

──その頃に、教育とか成長とか、バイエルというイメージとか、あのアルバムのコンセプトがもうあって。それが作品になるまで1年以上かかったわけです。で、その次の作品にようやく取りかかろうとしている現在、今度はどんなイメージというかテーマがあるのか、話してもらえますか?

 えーっとねぇ……まだ、自分の中でもはっきりとしてなくて、考えをめぐらせてるだけなんですけど……今ずーっと考えてるのは、やっぱり戦争のことなんですけど。どうして戦うのかな? っていう。ウクライナの大統領さんがね、「私たちが武器をとるのは、我々の土地や物語を守るためだ」っていうようなことをたしか、スピーチでおっしゃってたと思うんですけど。この「物語」っていうのがなんとなくひっかかって。それっておそらくStoryじゃなくて、Narrativeのほうの意味だと思うんですよ。自分も大きな物語の一部という感じ。ウクライナ、という物語の我々は一部であると。じゃあ、僕らはそんなふうに思えるかな? って考えるじゃないですか。

──ああ、この日本を?

  そう。日本の物語の一部である、っていうふうに思うだろうか? たぶん、僕なんかは思わない。日本って言われても、主語でかくね? という感じ(笑)。やっぱり前の戦争(第二次世界大戦)がトラウマになって、僕らはそういうナショナリズムみたいなものに対して、すごく警戒心をいだくような教育を受けてるので。「お国のために」みたいな言説を聞くと、とっさに「こいつやばい」と思うようにできてる。だから、日本人にはおそらくそういった共有できる物語がない。途絶えた、というべきか。

──ああ、そうかもしれないですね。国というくくりだと。

 うん。だからきっと個人個人の物語っていうのになる。じゃあ自分がもしも、誰かに奪われそうになったら牙をむくくらいのものって何があるかな? と。たとえばそれは、音楽とか、ロックンロールだと思ったんです。ロックンロールっていう歴史を背負っている自分がいて。ロックンロールは誰にもやらん、これは僕のもんだ、と思っている。これが僕に流れている物語。あるいは、「バンドマンなめんなよ! って感じっすよね」とか言ってる時は、バンドマンという属性に誇りを持って、バンドマンを代表してる気分になってると。

──わかります。まあ勝手に、代表しているというか(笑)。

 そうそう。でね、そういう大きい物語に巻き込まれてる時って、やっぱり気持ちいいんですよ。アドレナリン出ちゃう。何々のためなら死ねる、みたいな状態って。「何々しか勝たん」みたいな。きっとブロスの人なら「ブロスしか勝たん」って思ってると思うんですよ(笑)。帰属意識というか。そういうふうに考えると、戦う心境がちょっと理解できちゃう。ああ、これの一番おっきいやつが愛国心か、と。そういえば僕、「トートロジー」という曲(2013年)があって、<…これがロックンロール、わかんないヤツは全員 くたばれ!>っていう歌詞なんですけど。あれとかもそうなんですよね。物語を共有できないやつは出ていけ、っていう感情はたしかに僕にもあるじゃないかと。しかもそれが気持ちいいからこわいんです。そもそも僕、戦争をしようってアルバム(毛皮のマリーズ/2006年)でデビューしてるんですよ(笑)。

──そうか(笑)、そうですね。

 CDの帯には〈世界よ、僕を認めろ! さもなきゃ くたばっちまえ!〉って書いてある。この感情はどんな人にもきっとあって、もしもそれを操作されたら、その時は恐ろしいことになる。そうなる前に、僕はこの感情を自分の中でちゃんと体系化しないといけない。それが僕の「戦争反対」だと思って。そう……そういうことを考えてはいますが、まだそれが次の作品のテーマかどうかはわかりません。なんとなく、そういうのが今考えてることです。

──そうですか。ではそこからどう発展するか、ですね。

 そうですね。僕もまだ……今はいろんな点と点が線になるのを待ってる感じです。

──点のまま終わったりしてね。

 そう(笑)。でもまあ、それはそれで。点のまま発表しますね。

志磨遼平

しま・りょうへい●1982年、和歌山県出身。作詞作曲家・文筆家・俳優。2003年「毛皮のマリーズ」結成。日本のロックンロール・ムーブメントを牽引し、2011年、日本武道館公演をもって解散。翌2012年「ドレスコーズ」結成。2014年以降はライブやレコーディングのたびにメンバーが入れ替わる流動的なバンドとして活動中。最新作は、アルバム『ドレスコーズの音楽劇《海王星》』、LIVE Blu-ray&DVD『バイエル(変奏)』。近年は菅田将暉やももいろクローバーZ、上坂すみれ、PUFFY、KOHHといった幅広いジャンルのアーティストとのコラボレーションも行なっている。音楽監督として『三文オペラ』(ブレヒト原作)、『人類史』(谷賢一)、『海王星』(寺山修司原作)上演。また、文筆活動のほか、俳優として映画『溺れるナイフ』『グーグーだって猫である2』『ホットギミック』『ゾッキ』に出演。

ドレスコーズ
『ドレスコーズの音楽劇《海王星》』
(JESUS RECORDS/sputniklab.inc)
¥3,520(税込) 発売中
PCIオンラインショップPARCO STAGE SHOP

5月21日(土)音楽劇『海王星』がWOWOWで放送!!

「海王星」 山田裕貴主演
作:寺山修司 演出:眞鍋卓嗣 音楽:志磨遼平
5月 21日(土)後6:00~
(WOWOWライブ、WOWOWオンデマンドにて放送)
詳しくはコチラ をご覧ください。

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