文/世田谷ピンポンズ 題字イラスト/オカヤイヅミ 挿絵/waca
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海沿いに建つ民宿の二階の部屋で、急遽ひとりで食べることになった船盛のわずかな残りを前にずっと座っている。小皿に入った醬油もすっかり枯れてしまった。本当の船だったら、乗組員は全部海に落ちているだろうというくらい盛りに盛られた超豪華な船盛だった。最初、飾りで置かれていると思われていた伊勢海老の頭が、少ししてから味噌汁になって出てきたときには、知らない人の中で委縮し、口数の少なくなる矮小な自分の性質を忘れ、思わず歓声を上げたほどだった。赤身に白身に鰹のたたき。たたきを塩とにんにくで食べるやり方は黒潮町に来てから知った。この街ではいつも身に余るほどの歓待を受けた。船盛に恍惚の表情でむさぼりつき、それでもやっぱり最後には二人前以上はあるだろうそれをわずかに持て余し、宿の人にお願いし、パックに詰めてもらって部屋に戻ったのが数時間前のこと。外からひっきりなしに聞こえてくる波の寄せてはかえす音にすっかり眠れなくなってしまった。焦れば焦るほど時間は加速して、朝に近づいていく。白々と明け始めた夜のなかで岩礁に砕ける波を視認できるほど外が明るくなったころ、ようやくうとうとし始めると、もうリハーサルの時間が近づいていることに気づいた。午後には大方あかつき館近くの黒潮町ふるさと総合センターで上林暁の生涯を描いた演劇が催される。僕は演劇終了後にゲストとしてミニライブをすることになっていた。上林暁関係のイベントで高知・黒潮町に呼んでもらうようになってから数年が経っていた。
一番最初に黒潮町に歌いに来たのは、高知城での電話から数か月後のことだった。その日は、黒潮町をあげてのイベント・夏葉社の島田潤一郎さんとピースの又吉直樹さんの講演会が予定されており、大方あかつき館(上林暁文学館)館長・山沖さん(当時)の計らいで、二人と交流のある僕が講演会のオープニングで「紅い花」という上林暁の小説をモチーフにした歌を歌わせてもらうことになったのだった。
高知県出身で上林暁の本を二冊刊行した島田さんと芥川賞を取ったばかりの又吉さんを一目見ようと、ふるさと総合センターのキャパの何十倍もの申し込みが集まり、当日、朝早くから公民館の前には長蛇の列ができた。後にも先にも黒潮町にあんなに人が集まったのを見たのはあれっきりのことだった。本当にすごいイベントだった。お二人の話を聞いて、上林暁をより好きになった人も多かっただろう。僕も歌でその手伝いができていたのなら、こんなに嬉しいことはない。
打ち上げは近くの居酒屋だった。店主の息子がサッカー少年だったこともあって、又吉さんが、
「同じポジションやな。頑張ってな」
そんなふうに彼に嬉しそうに話しかけていた姿が印象に残っている。
少年は恥ずかしそうに下を向いた。
続けて又吉さんが
「このお兄ちゃんは歌手なんやで」
と、僕を紹介すると、少年はどうリアクションしていいかわからず、やっぱり下を向くのだった。
アルコールで顔を真っ赤にしながら三人で撮った写真がいまもあの日のことをずっと記憶している。
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