昨年の「第34回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で明色美顔ボーイ賞を受賞し、「六本木クラス」で俳優デビューを果たした夏生大湖さんをインタビュー! デビューのきっかけから、子ども時代の話、バレーボール部の話、おじいちゃんの話(!?)まで、たっぷりお聞きしました!
取材・文/大久保和則
撮影/藤本和典
スタイリスト/津野真吾 (impiger)
メイク/哘絵美子
目次
日本舞踊の女形!? 泣き虫キャプテン!? 現場監督!?
異色の経歴の持ち主でした
――まずは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募したきっかけから教えてください。
「自分を変えたかったからです。応募した当時は、工業高校の建築科を卒業して、現場監督として働いていた時期でした。仕事自体は楽しかったんですが、高校時代から自分を変えたいという気持ちがあったので、思い切って応募したんです」
──明色美顔ボーイ賞を受賞した時の心境は?
「もちろんうれしかったんですけど、グランプリだけを目指していたので、そこは少し複雑な気持ちもありました。でも、今は結果的に良かったなと思っています。ただ、受賞したこと自体はあくまで過程に過ぎないというか、スタート地点に立っただけ。なので、受賞後はうれしい反面、不安が6割でした。今は、やっとスタートが切れたのかなと思っていますが、まだ5割ぐらいは不安です。まだ、芸能界の“げ”の字もわかってないと思うので」
「感情の起伏があまりないタイブなので、演技をすることがある意味で発散になっている部分もあります」
──「スタートが切れた」という言葉がありましたが、俳優デビューの手応えは?
「正直、まだ実感を得られていないというのが本音です。撮影をしていても、『まだもうちょっとできる』と思ったり、反省している自分がいます。まだまだです」
──演技をすること自体は、楽しいと感じていますか?
「楽しいです。もともと感情の起伏があまりないタイプなので、演技をすることがある意味で発散になっている部分もあります」
──「感情の起伏があまりないタイプ」というのは?
「そもそものメンタルがそれほど強くないこともあって、頻繁に感情が上がったり下がったりすると疲れてしまうんです。なので、嫌なことがあってもうれしいことがあっても、できるだけ感情をプラマイゼロにしておくというか」
──そういう考え方になったのには、何か理由があるんですか?
「3つ上の姉と2つ上の兄がいるんですけど、すごく自由人なんです。自分がやりたいことは、絶対にやる。反対にやりたくないことは、絶対にやらない。しかも、2人とも感情を表に出すタイプで、それを見て『これじゃいけない』って思うことが多々ありまして(笑)。姉や兄が母とケンカしているのを見て、こうしたら怒られるんだ、嫌がられるんだということを学んで、できるだけ怒られないようにいい子にしていたら、感情をプラマイゼロにしておくほうが楽になったんです。そんな風に、なるべくミスをしないように生きていました。高校までは」
中学卒業後、バレーボールの強豪校に入学
実家を離れて一人暮らしの生活がスタートするが・・・
──「高校までは」ということは、高校に進学してから何か変化があった?
「中学ではバレーボール部に所属していたんですが、3年の時に大分県選抜に選ばれたんです。そのことがきっかけで、高校にはスポーツ推薦で入学してバレーボールを続けることになったんです。強豪校でしたし、実家を離れて一人暮らしを始めたことで、洗濯も料理も自分でしなきゃいけない状況になりました。でも、そうやって自分で家事などをするのが初めてだったので、かなりつらくて。それで、毎日朝と夜に、泣きながら『もうやめたいです』ってお母さんに電話していたんです(笑)」
──プラマイゼロどころか、感情が爆発してますね(笑)。
「そうですね(笑)」
──その時、お母さんはどんな言葉をかけてくれたんですか?
「毎日言われたのは、『もうちょっと頑張ってみな』という言葉です。その言葉は、今でもはっきり覚えています。毎日その言葉をかけてもらっているうちに、ネガティブな感情が少しずつなくなっていって、バレーボールが楽しいなとまた思うようになりました。子どもの頃、おもちゃ屋さんに行って欲しいものがあっても、母から『今は我慢してね』ってよく言われていたので、『もうちょっと頑張ってみな』という言葉もすんなり受け入れられたのかもしれません」
──その時の経験が、今に活かされている部分もあるんじゃないかと思います。
「時間が経つと、何が嫌だったかわかんなくなって、『もういいや!』って開き直れる時が来ると思うんです。それがわかってからは、すごく晴々しくて、それまでネガティブだった考え方もポジティブになって、今の座右の銘は『なるようになる』。とにかくやってみて、ダメだったら何かを変えればいいんだからって、そういう気持ちで今はずっとやっています」
──ポジティブになってからは、泣くこともなく?
「それが、そんなことなくて。高3の時にバレー部のキャプテンになったんですが、監督からは“泣き虫キャプテン”と呼ばれていました(笑)。初めて監督に怒られた時に、くやしくで大泣きしたんです」
──ただ、どんな形であれ感情が表に出るようになっていったということですよね。
「それまでよりは、でしょうか。バレーボールはメンタルのバイオリズムが大事で、一つの小さなミスから大きく崩れることもあるので、できるだけ平常心でいないといけないんです。だから、むしろプラマイゼロの感情でいることに拍車がかかった部分もあるのかもしれないなと思います」
──なかなかむずかしいものですね。中学以前に話をさかのぼると、日本舞踊で女形をやっていた経験もあるんですよね。
「母が3歳の頃から習っていて、今も踊っているんですが、その影響です。姉も習っていたので、その流れで自然に僕も始めようという空気になって、女形は小学3年生の時、9歳の頃から習っていました。女形をやってみようと思ったのは、なんとなくの思いつきです。内気な性格だったので、人前で表現する、誰かに見られながら何かをするという部分で、度胸はついたと思います。その時の経験が、今につながっているところはあるかもしれないです」
──演技同様、日本舞踊も楽しかったですか?
「すごく楽しかったです。ただ、お稽古は嫌いでした(笑)。でも、発表会ではワクワクしていました」
大湖という珍しい名前
「21年間、自分の名前は大好きです」
──本番が好きで、しかも楽しめるタイプなんでしょうね。撮影中は、おじいちゃんのことを思い浮かべると笑顔になると話していました。
「僕のおじいちゃん、かわいいんです(笑)。僕は母子家庭なんですが、2歳ぐらいから母方の実家に住んでいたんです。祖父と一緒に暮らすようになってからは、とにかく一緒にいました。保育園の送り迎えも祖父だし、ご飯を食べる時はいつも隣り。同じ時間に寝て、同じ時間に起きて、お風呂も一緒でした」
──おじいちゃんは、どんなところがかわいいんですか?
「変なところがかわいいんです(笑)。例えば、くしゃみって普通は『ハックション!』じゃないですか。でも、僕のおじいちゃんは『ハッハブチョ!』ってくしゃみをするんです(笑)。暑い時は『あちりんこん』って言いますし、ため息をつく時は『あー、なべなべ』。大分の方言ではなく、完全に祖父のオリジナルです(笑)」
──そんなおじいちゃんも、孫の俳優デビューを喜んでいるんじゃないですか?
「大喜びで、舞い上がっているらしいです(笑)。週に一回ぐらいは電話しているんですけど、ニコニコしてるんだろうなと思いながら話しています。今日、このあとも電話しようかなと思っています」
──“大湖”はとても珍しい名前だと思います。由来を教えてもらってもいいですか?
「母が、男の子だったら自然にちなんだ名前にしたくて、この名前に決めたそうです。大地とか太陽、大海という候補もあったらしいんですけど、字画を考えて“大湖”にしたと教えてくれました。21年間、自分の名前はずっと好きです。ただ、大慌てで考えた名前らしいんですけど(笑)」
──大慌てで考えたのは、どうしてだったんでしょう?
「僕が生まれる2週間前まで、女の子が生まれると思い込んでいたらしいんです。それで、最初は僕に“乃愛”という女の子の名前をつけてたらしくて(笑)。でも、実際には男の子だってことがわかって、それで慌てて男の子の名前を考えたっていう」
──大湖という名前だと、やはり湖を意識したりしますか?
「します。琵琶湖って名前を見るだけで、『僕の漢字だ!』ってシンパシーを感じてしまっています(笑)」
焦らず、欲張らず、一歩一歩。でも着実に進んでいる。
夏生大湖のこれからに注目を!
──自分を変えるために選んだ現在の道ですが、実際に変化してきていると感じますか?
「徐々に徐々に、本当に少しずつではありますが、自分では変化してきているなと思っています。母に『変わったと思わない?』って聞くと、まだ『うーん……まぁね』ぐらいの反応ですが」
──今、「徐々に徐々に、本当に少しずつ」という言葉がありました。これからの道のりも、一気に何かが変わるよりも、徐々に一歩一歩という思いでしょうか?
「そういう思いが強いですね。僕は今、簡単にはできないこと、むずかしいことに挑んでいるんだという気持ちで何事にも臨んでいますし、簡単にはできないむずかしいことだったら一気にできるようになるはずがない。だから、5年後10年後に今はできないことができるようになって、いろんな役を演じられる俳優になれていたらと思っています。ただ、できない中でも今できる全力を出し続けないと、5年後も10年後もない。そう肝に銘じて、もっと自分を変えていきたいです」
<プロフィール>
夏生大湖 Natsuki Omi
2001年4月5日生まれ。大分県出身。第34回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト「明色美顏ボーイ賞」受賞。「六本木クラス」(テレビ朝日系列)でドラマデビューを果たす。
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