イべント「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』グランド・プレミアin 伊豆の国」に合わせてゆかりの地を訪ねるルポ第4回。
これまで源頼朝(大泉洋)や彼の子・千鶴丸を生んだ八重(新垣結衣)にまつわる場所に行ってきたが、いよいよ主役の北条義時(小栗旬)をはじめとする北条家に関する場所へ向かう。義時の父・時政(坂東彌十郎)のお墓のある願成就院と北条義時(小栗旬)の墓のある北條寺は、北条家がいかに伊豆の国で大きな影響力を及ぼしていたかわかる場所である。この重要な2箇所でふたつの謎に遭遇した。
取材・文/木俣冬 撮影/ツダヒロキ
『鎌倉殿の13人』ドラマをもっと楽しむための舞台研究<三島・伊豆編>5日連続特集 記事一覧
現下の期待と推察~重要な5つのキーワード【2022年度NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』追跡不定期コラム第1回】
『鎌倉殿の13人』を観る前に! おすすめ必読書【『鎌倉殿の13人』不定期連載第2回】
三谷幸喜の過去作で予想する『鎌倉殿の13人』の第1回放送【『鎌倉殿の13人』不定期連載第3回】
1つ目の謎・「縁結びの梛の木」のかぶり
願成就院は八重が祀られている眞珠院のそばにあった。といっても歩くとけっこう距離はある(ブロス取材班は車を使用しています)。北条時政が、源頼朝と後白河法皇の長寿と天下泰平、そして北条氏の反映と奥州藤原氏征討の成功を祈って造営したお寺。できたのは文治5年、1189年なので、『鎌倉殿』の第1、2回の時点ではまだ存在していない。やがて頼朝が立ち上がり、北条家が協力して天下を獲りに出て、鎌倉幕府ができたのが1185年頃(諸説あり)だから、北条家が上り坂の頃に作ったものだろう。
後に時政が亡くなったときには義時が南新御堂を、その後、三代目執権で義時の息子の泰時が北條御堂、北塔を建立。北条家が代々、増設していった。“北条家のもの”感の強いところである。運慶が手掛けた仏像たちも迫力。時政のお墓はとても大きい。
今ある場所の入り口の左側には願成就院跡があった。そこはかつて西側の守山を背景に、池の周囲にお堂や塔が立ち並ぶ「臨池伽藍」と呼ばれる寺院だった。いまは何もなく一部駐車場になっているが、頼朝を擁してぐいぐい成り上がっていった北条家の威光輝く場所だったに違いない。
願成就院のそばには時政役の坂東彌十郎が「ぼくんち」と会見で言った北条邸跡がある。さらにそのそばには守山展望台があって、きっと北条ファミリーも山の上のほうに登ってこの地が自分たちのものと、ふふんっとなったのだろう。
さて、ひとつめの謎。願成就院にも頼朝と政子の出会いの場と言われる梛の木があった。やっぱり縁結びの木とされ、縁結びのお守りも売っている。梛の木伝説に関してはルポ第3回に詳しいが、八重の眞珠院にも梛の木があって、縁結びのご利益があるとなっている。伊東の伊豆山神社にも頼朝と政子にあやかっての縁結びの梛の木が。いったいどれが最も効力があるのだろうかと、そもそも、こんなにかぶっていいんだろうか。疑問で顔が義時みたいな困り顔になってしまう。
正直言えば、八重は振られてしまい、頼朝は政子を選び、ふたりはパワーカップルとしてテッペンに君臨し、頼朝の死後、政子が活躍するのだから、頼朝・政子に軍配を上げるしかないと思うのだが……。でも考えたら、頼朝には愛があったのだろうか。政子は彼の浮気に悩まされるのだ。彼の正妻と将軍の妻というプライドが満たされれば幸福かといえばはたして……。
政子がゆくゆく大活躍するのは歴史的にはわかっている(これもネタバレ?)が、三谷幸喜さんにはぜひ、眞珠院の梛の葉が効果ありと感じられるような八重を描いてほしい。第2回の八重を見ると、気丈だが、伊東家のために生きるしかないこの時代のルールに苦悩しているようだった。「私は命がけでここに来ている。父に咎められれば自害する覚悟もあった。なぜあなたも命がけで嘘をつかない。そんなことで私を騙せると思ったか!(後略)」と義時に向かって吐くかっこいいセリフがあった。それに政子と対面し、前妻のプライドで、頼朝について自分のほうが詳しいことを政子にマウンティングしているいじらしさも。
前妻は? 後妻は? 歴史にまつわる「かぶり」の数々
お次は名前がもう北条そのものの北條寺。ここは願成就院や北條邸とは狩野川をはさんで反対側にある。これは義時がつくった寺で、彼が承久の乱で活躍してから3年後くらいに急死(これもネタバレ?)したとき、息子の泰時が義時と妻の墓を作った。また、政子が奉納した牡丹鳥獣文繍帳が保存されている。
この記事の続きは有料会員限定です。有料会員登録いただけますと続きをお読みいただけます。今なら、初回登録1ヶ月無料もしくは、初回登録30日間は無料キャンペーン実施中!会員登録はコチラ