関西ラジオ界のスターが夢の対談!ラジオでつながる“師弟”<完全版>浜村淳×福島暢啓(MBSアナウンサー)【テレビブロス8月号ラジオ特集号】

関西のラジオ界でそれぞれの世代を代表する浜村淳と福島暢啓の対談がついに実現! 放送49年目を迎えた『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)で今もラジオと共に生きる浜村と、テレビで活躍しながらも活動の重きをラジオに置き続ける福島には、いわばラジオでつながる“師弟関係”がある。
今回は、「TV Bros.8月号ラジオ特集号」で掲載できなかったお話を含めた完全版として配信。ラジオに愛情を注ぎ続ける2人の対談を通して、それぞれのラジオ観に迫った。

取材・文/やきそばかおる 撮影/ツダヒロキ

 

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<プロフィール>
浜村淳(はまむら・じゅん)●1935年京都市生まれ。司会業は60年以上にわたり、これまでに数多くの番組の司会やパーソナリティーを務める。特に映画に造詣が深く、映画評や独特の紹介の仕方は1つの芸として知られる。「さて皆さん」の前口上はあまりに有名。

福島暢啓(ふくしま・のぶひろ)●1987年宮崎県生まれ。2011年、MBS入社。入社1年目から『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)のリポーターなどで活躍し、2012年10月から初の冠番組『福島暢啓の昭和歌謡でしょ!』(MBSラジオ)を担当。

<番組情報>

・浜村淳

『ありがとう浜村淳です』
大阪・MBSラジオ 毎週月~金曜午前8・00~10・00
※土曜は『ありがとう浜村淳です土曜日です』(午前8・00~11・30)を放送

・福島暢啓

『ヤングタウン日曜日』
大阪・MBSラジオ 毎週日曜午後10・00~11・30
※毎月最終週は『ヤングタウン日曜日 B面』と題して福島暢啓、三遊亭とむのコンビで放送

『福島のぶひろの、金曜でいいんじゃない?』
大阪・MBSラジオ 毎週金曜午後3・00~5・45

『石井亮次と福島暢啓のフダンギダンギ。』
大阪・MBSラジオ 2か月に1回の不定期放送

『THE TIME,』
TBS系 毎週月~金曜午前5・20~8・00 ※関西圏のリポーターとして出演

『らくごのお時間』
MBS 毎月第4日曜午前5・00~5・30

『よんチャンTV』
MBS 毎週月~金曜午後3・40~7・00 ※福島アナは月曜放送に出演

 

何歳になってもギラギラしていることが大事(浜村)

福島:改めて考えると『ありがとう浜村淳です』での浜村さんのおしゃべりはラジオの話芸ですね。映画解説は状況描写も鮮やかですし。

浜村:やっぱり、皆さんに作品の魅力を分かってほしいですからね。ひとくちに映画解説といっても淀川長治さんと徳川夢声さんとでは違います。淀川さんは人間性を剥き出しにした話し方で、あまり大した作品でなかったとしても「よかったですね。よかったですね。よかったですね」と繰り返して言うので本当によかったように感じられます。徳川夢声はしっかりと間を置いた喋り方で大変な話術だと思います。話芸は一朝一夕でつくられるものではありません。どちらが好きかと聞かれたら、私は夢声さんのほうが好きですね。もちろん好みの問題ですが。

福島:浜村さんは昔のこともよく覚えているのがすごいです。作品を観たあとは、メモはとっていらっしゃいますか?

浜村:あまりとりませんね。面白い話は記憶に残るんです。

福島:映画の内容もしっかりと覚えていらっしゃいますもんね。

浜村:面白いところは覚えているから、それを繋げて話します。『母べえ』で(笑福亭)鶴瓶さんが言ったセリフを鶴瓶さん本人の前で再現すると「そんなセリフ、ありました?」って言われます(笑)。

福島:記憶力の良さも解説の素晴らしさも、全て含めて浜村さんの芸ですね。

浜村:福島さんも今までに蓄積したものが意図しないまま滲み出ると芸風になりますから、大いに生かしてほしいです。そのためにも何歳になってもギラギラしていることが大事です。昔は年齢を重ねて枯れた芸が良いものとされてきましたが、今は逆で、いつまでもギトギトと油ぎった芸を続けるべきだと永六輔さんが言っていました。

福島:お客さんに喜んでもらわないと存在価値がないですもんね。浜村さんもギラギラしていらっしゃいます。

浜村:ギラギラし続けたいですね(笑)。

 

昭和歌謡の知識の出しどころがなくなってきました(笑)(福島)

浜村:福島さんには昭和初期の歌謡曲の知識がありますよね。そもそも歌謡曲が好きになった理由は何ですか?

福島:大正生まれの祖母が音楽が好きで一緒に聴いていたことも影響しています。高校生の時に『ラジオ深夜便』(NHKラジオ)を聴いて「ロマンチックコンサート」や「にっぽんの歌 こころの歌」を毎日120分のカセットテープに録音していました。それに藤山一郎さん、東海林太郎さん、奈良光枝さんの曲を聴いている人がまわりにおらず、まわりの人が知らない曲を聴いていることに格好よさを感じていた時代でしたので、一生懸命聴いていました。

浜村:昭和歌謡の知識を忘れていないところが偉いですね。

福島:ずっと記憶に残っているからネタは豊富にあるんですけど、出しどころがなくなってきました(笑)。

 

下町の皆さんの会話は歯切れもテンポも良くて趣がある(浜村)

福島:浜村さんはもともと京都のジャズ喫茶で司会の仕事をされていたんですよね。

浜村:たくさんのお客さんの前で真面目にジャズの話をしても聞いてもらえません。そこで余談をたくさん入れるわけです。司馬遼太郎の作品は「余談ですが」といって余談の部分が結構多くて面白いんです。ジャズ喫茶でかなり経験を積みました。

福島:どなたかに教わったわけではないんですね。

浜村:そうです。ただ、僕は(古今亭)志ん生や三遊亭圓生といった東京の落語が好きでよく聞いていました。それに東京の下町の言葉が好きで、渡辺プロダクションの渡辺晋さんからお声をかけていただいて上京した時は、下町に出かけて街の人々の会話を聞いて楽しんでいました。石川啄木の歌に「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」とありますが、まさにそんなことをやっていました。例えば人に声をかけた時に、京都の人は「なんで?」と返事をしますが、東京の下町の人は「なにさ」と返します。商品の値段を聞く時に、普通は「おいくらですか?」と聞きますが、下町の人は「いかほどですか?」と聞きます。下町の皆さんの会話は歯切れもテンポも良くて趣があります。

福島:浜村さんの喋りの根底に東京の下町の言葉があるとは意外でした。穏やかにお話をされるのは東京の下町の影響なんですね。

 

取材したことをきちんと説明するのが僕らの本業だが…(福島)

――おふたりからご覧になられて、「この人は本当にラジオが好きなんだな」と思う方は?

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