“裏切られた映画たち”とは、どんでん返しなどではなく、映画に対する価値観すら変えるかもしれない構造を持った作品のこと。そんな裏切り映画を語り尽くす本連載。今回はアルフレッド・ヒッチコック監督作『鳥』です。
取材・文/渡辺麻紀 撮影/ツダヒロキ
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サスぺンスを期待した観客を最後に裏切る『鳥』
――『裏切り映画』の14本目は『鳥』(63)です。サスペンスの神様と呼ばれ、常に観客をいい意味で裏切り続けて来たアルフレッド・ヒッチコックの作品がやっと登場という感じです。数あるヒッチコックの映画から『鳥』を選んだ理由は何でしょう?
押井 底が抜けているからです。伏線の回収をやってなければオチもない。訳もなく鳥が人間を襲ってきて、ただそこから主人公たちが脱出するだけ。そういうのってヒッチコックらしくないじゃない。
――でも、面白いですよね? 今回、久々に観なおして、やっぱりとても面白くて驚きました。もう60年以上も前の映画なのに。
押井 面白いよ。映画としては大変面白い。でも、ヒッチコックらしくないと言っているんです。
――実験映画っぽいところはヒッチコックらしくないですか? 劇伴がないのにも驚きます。
押井 そういうチャレンジは常にやっている監督じゃないの。なんちゃってワンカット撮影の『ロープ』(48)だってそういう1本だし、冒険主義的というか実験主義的というか、そういう姿勢をいつも感じる。でも、私に言わせれば、やっぱり彼の基本はストーリーテラー。もっというと、気の利いたショートショートの人。だから『ヒッチコック劇場』のようなTVシリーズをやっていた。最後でアッと言わせたい人。「なるほど!」と膝を打たせたい人。そういう仕掛けが大好きな監督で、文芸に傾くことはない。人間なんて描こうなんて思ってないからね、彼は。そういうふうな匂いがちょっとだけしてきたのは晩年ですよ。あくまで対象物として人間を観る。人間を深く掘り下げる文芸とはまるで違う。だから、世間的なヒッチコック映画というのは伏線を回収するタイプ。最後の最後で観客を唸らせるのが得意だし、それで巨匠になった。
そういう視点で見ると『鳥』は、あらゆる意味で裏切っている。確かに映画として観た場合は面白い。あの手の映画、つまりパニック映画のハシリと言っていい。音楽がないことが逆に怖さを出しているし、デジタルもCGもない時代に、鳥の群れを成立させたのはすごいですよ。剥製を使い、ホンモノを使い、合成も使い、あの手この手で周到に計算して鳥の攻撃を撮っていった。大したものです。
そういうところは本当にさすがなんだけど、じゃあオチは? オチについては誰も語らないじゃないの!
――オチのいらない映画なのでは?
押井 私が言いたいのはヒッチコック映画にはこれまでちゃんとオチや種明かしがあったのに、これはないと言っているの!
――『レベッカ』(40)の原作と同じダフニ・デュ・モーリエの同名短編では一応、なぜ鳥がアタックし始めたのかには理由があるみたいです。「寒さによるエサの激減」のようですよ。
押井 でも、ヒッチコックはそれを映画からは削除した。映画のなかでは原因は何も語られていない。ということは、それまでヒッチコック映画を観て来た人たち、彼の映画に期待していた人たちを当初から裏切るつもりで描いたんじゃないかということですよ。当時、中学生だった私を含め、多くの映画ファンはヒッチコックお得意のクライムサスペンスを期待していた。彼の映画はペテンとか強盗とかじゃなく、ほとんどが殺人がらみ。だから最初は、いかにもヒッチコック好みのブロンドのおねえさん、誰だっけ?
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