『真日』で、もう一回プロレスファンに戻れた【連載『神田伯山の“真”日本プロレス』延長戦!2022年9月号】

講談師・神田伯山&実況アナウンサー・清野茂樹がプロレスを語りつくすCSテレ朝チャンネル2『神田伯山の“真”日本プロレス シーズン2』も今夜で閉幕! 最終回の歴史コーナーは、2006年から09年の新日本を紹介した。延長戦では、暗黒期から再建へと向けたこの時代に2人がプロレスとどんな距離感だったのかを語ってもらいました。
初代タイガーマスクやアントニオ猪木VSモハメド・アリなどを取り上げたシーズン1は古代の神々の伝説、神話を聞いているような趣だったのに対し、栄光と転落、そして再生を振り返ったシーズン2は、とても人間くさいドラマだった。もしシーズン3があるのなら、現在の繁栄への道のりを清野アナと伯山はどのように語るのだろうか。そして、いつかは“コロナ禍”におけるマット界を歴史として振り返る日もくるだろう。その時は果たしてシーズンナンバーはいくつになっているのか。この番組が2人のライフワークになることを勝手に期待し、まずは、シーズン3の実現を楽しみに待ちたい。

取材・文/K.Shimbo(真日取材で印象的だったのは、昨年のG1クライマックス決勝戦で2人が副音声をした直後の取材。思わぬアクシデントによる決着に我々も戸惑いました)
撮影/ツダヒロキ(同じく、取材前に会場の放送席の後ろに映る観客に、不意になってしまったこと)

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<プロフィール>
神田伯山(かんだ・はくざん)●1983年東京都生まれ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門し、「松之丞」に。2012年、二ツ目昇進。2020年、真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談師としてもさることながら、講談の魅力を多方に伝えるべく、SNSでの発信やメディア出演など様々な活動を行っている。現在は『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)などに出演している。
清野茂樹(きよの・しげき)●1973年兵庫県生まれ。広島エフエム放送(現・HFM)でアナウンサーとして活躍。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)で数々の名実況・名言を生み出した古舘伊知郎アナウンサー(当時)に憧れ、宿願だったプロレス実況の夢を実現すべく、2006年フリーに。2015年には新日本プロレス、WWE、UFCの実況を行い、前人未到のプロレス格闘技世界3大メジャー団体を実況した唯一のアナウンサーになる。『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)のパーソナリティーとしても活躍。

『神田伯山の“真”日本プロレス』
CSテレ朝チャンネル2 再放送を随時放送中
出演 神田伯山 清野茂樹(実況アナウンサー)
●“最もチケットの取れない講談師”の神田伯山と、プロレスに魅せられた実況アナウンサーの清野茂樹が、テレビ朝日に残された貴重な映像を観ながら、プロレスの歴史をマニアックに語り尽くす。そのほか、当事者を招いて真相を探る「真のプロレス人に訊け!」や、現役プロレスラーの魅力を深掘りする「最“真”日本プロレス」といったコーナーも。
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/recommend/hakuzan/

テレ朝チャンネル至極のプロレスラインアップ
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/wrestling/

 

06年当時、新日本プロレスはつぶれてもおかしくないと思っていた(清野)

――最終回の歴史コーナーは06年からでしたが、清野さんがフリーアナウンサーとして新日本に関わり始めた頃ですよね。

清野 06年の1月に上京して、新日本の後楽園ホール大会にあいさつに行ったんですが、客席がガラガラだったのをすごく覚えています。キャパが1800人のところに、4割くらいしか入っていなかったんです。ビックリしましたよ。こんなに観客がいないんだと。それで、これは本当の話なんですけど、「フリーになって東京に来たのでよろしくお願いします」と当時副社長の菅林さん(注1)にあいさつしたら、「いいところに来てくれました。実は今日、ケロ(注2)が辞めると言い出したから、清野さん、リングアナやらない?」と言われて(笑)。「リングアナになったら巡業も行くんですか?」と聞いたら、それもやってもらうと。せっかく東京に出てきたばかりなのに、また東京を離れる生活になるので、考えた末にお断りしたんです。

――清野さんが新日本のリングアナになるかもしれなかったんですね!

伯山 まさに、人生は選択の連続ですね。それはそれで、いい人生だったんじゃないですか(笑)。

清野 でも上京してすぐに全国をバスで旅するというのはちょっと…。

――当時の新日本が低迷していることは、広島にいた清野さんにはあまり伝わっていなかったんでしょうか?

清野 やっぱり、タイムラグがあるんですよ。広島はそこまで人気が冷え切っていなかったけど、東京はより悪化していて、キンキンに冷えていましたから。新日本はこんな状況なのかと、上京して初めて知りました。あの日の後楽園ホールは会場の空気がとにかく暗くて、熱気もないし、とんでもないところに来ちゃったなと、頭を抱えて家に帰ったことを覚えています。後悔しましたけど、今さらどうしようもないですし、やるしかないと。4月から実況を担当することになったので、腹をくくりました。

伯山 正直、新日本はつぶれるなと思いました?

清野 思いましたね。そうなってもおかしくなかった。

伯山 棚橋選手や中邑選手に本気で頑張れって思ってたんじゃないですか?

清野 そうです! 僕の人生を救ってくれって。僕の命運も懸かっていたから、2人には何としてでも人気者になってほしかった。

伯山 なぜなら、自分もつぶれてしまうから。これが団体を支えるということですね。そこに清野さんもついてくるという(笑)。

清野 もはや、運命共同体でした。

――そういう時期に実況をされていて、どんなお気持ちだったんですか?

清野 モヤモヤしていましたよ。観客も集まっていないし。プロレス中継の冒頭で解説者と一緒に「今日は〇〇からお伝えします」っていう前振りを撮影するんですけど、中継席の後ろに観客があまりにいないから待ちましょうということがあって。試合開始のギリギリまで待ったけど、結局来ないから、背景にお客さんがいない状態で撮影しました。

伯山 本当に大変だったんですね…。

注1・菅林さん 現在の取締役会長である菅林直樹氏。アルバイトから正社員になり、07~13年に社長を務めた、いわゆるたたき上げ。
注2・ケロ 田中ケロ氏。新日本マットで多くの名試合をアナウンスしたレジェンド的存在のリングアナウンサー。昨年、新型コロナウイルスに感染し、一時は重症だったが、今年2月放送のBSフジ「クイズ!脳ベルSHOW特別編 脳ベルプロレスリング」で復帰。3月1日、日本武道館での「旗揚げ50周年記念セレモニー」に登場し、力強いアナウンスを披露した。その模様はこちらの記事を参照。

談志師匠を途中で見限ってしまったことと重なる、プロレスと自分(伯山)

――伯山さんは講談師になってからプロレスを観ていなかったとおっしゃっていましたが、入門されたのが07年ですよね。

伯山 演芸の世界にどっぷり行ってしまいました。当時は、清野さんが言っていたようにプロレスが冷え切った感じがして、会場に行っていない僕でも、つぶれてしまうんじゃないかと思いました。PRIDEとかが凄すぎて、プロレスを観ることがちょっと恥ずかしいという感じもありましたし。

清野 実際に06年に週刊ファイト(注3)が、07年に週刊ゴングが休刊になって。プロレスの情報を得る手段がどんどん減っていったんです。

伯山 その時に僕も演芸にシフトを切っちゃったので、プロレスに対して裏切り者なんですよ。だから、清野さんのようにずっと観ている人に敬意があります。つらい時期や暗黒期も観続けたっていう。この番組をやらせていただくにあたって、戻ってきたんだけど、自分は一回出て行った人間なんだという意識はあります。

清野 内藤哲也さんが絶対に許さないパターンですね(笑)。

伯山 許されないですね(笑)。これは、演芸の世界も同じなんです。(立川)談志師匠(注4)が病気になって、高座を聞くのがきついな、外れも多くなってきたなっていう中で、ずっと信じていたお客がいるんですよ。そして、談志師匠も弱っていたんですけど、暮れの「芝浜」で超特大ホームランを打ったんです。談志師匠はホームランを打つけど、思い切り三振もする人で。その三振があまりにも多くなってみんなが離れて行ったのに、ずーっと、ずーっと最後まで信じていたお客の前で、談志師匠は超特大ホームランを打った。なのに、僕は談志師匠を途中で見限ってしまったんです。そのことにコンプレックスというか、僕は常に裏切る人間なんだなと思って。新日本から出ていった選手にすごいシンパシーを感じます(笑)。

清野 長州力さんにシンパシーを感じると(笑)。

伯山 行ったり来たりするというか、義を貫けない。新日本のおかげでプロレスを楽しませてもらったら、つまらなくなっても観るのが義理だろうって思うんですよ。談志師匠を好きになったら、談志師匠がどうなっても観続けるのが本当のファンだろうと。だけど、それが全然できないんです。僕の本性はWJを旗揚げした長州力さんですね(笑)。

注3・週刊ファイト 新大阪新聞社が発行していたプロレス専門のタブロイド紙。06年9月に休刊。「週刊ファイト」の編集長だった“I編集長”こと故井上義啓氏は、「週刊プロレス」元編集長・ターザン山本!、「週刊ゴング」元編集長・金沢克彦、両氏の師匠でもある。ちなみに筆者も井上氏の大ファンで、mixiの「I編集長コミュ」に入っていました。同氏がプロレスをたとえた言葉「底の見える底なし沼」はあまりに有名。
注4・立川談志 落語家。11年11月21日死去。古舘伊知郎のYouTubeチャンネルによると、談志師匠はキラー・カーンと仲が良く、カーンがアメリカで結婚した際は、お祝いのために渡米した。また、談志師匠の通夜に古館が参列すると、カーンがグラン浜田と来ており、3人で師匠を偲んだという。

清野さんには再生工場みたいな役割をしてもらいました(伯山)

――最後に今回がシーズン2の最終回ということで、感想をお願いします。

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