連載企画「同級生~ときどき幼馴染〜」第14回は、漫才師としてテレビやラジオでも活躍する三四郎と、キャンプ・料理芸人として知られる阿諏訪泰義。
人力舎の養成所・JCA13期生の同期だった3人。養成所を途中で辞めながらも2人で活動し続けてきた三四郎と、ワンスター、うしろシティというコンビを経てピン芸人となった阿諏訪。3人はモグライダー・ともしげなど、JCAで出会った面白い同期たちの話に華を咲かせた。
編集=竹村真奈
取材・文=高本亜紀
撮影=大槻志穂
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三四郎がJCAを途中で辞めた理由
――お三方はJCAの同期ですが、よく話すようになったのは?
阿諏訪 ネタ見せが始まってからだよね?
小宮 夏くらいか。阿諏訪って学生時代、休み時間にずっとヘッドホンしてたんでしょ?
阿諏訪 休み時間だけじゃない。学校に行ってる間、ずーっとしてた。
小宮 ヤバいじゃん! けど、そういうヤツだとは思ってなかった。ちょっとトガってるっていうか、ほかの人がネタをやってるときは笑わないのに、誰かがヘマすると笑うタイプっていうか。
阿諏訪 嫌なヤツだなあ。それは、お前らもだったからな?
小宮 (笑)。ネタ見せのとき、1分くらいフリーズしてるヤツとかいたよね。そいつは今、名古屋で寿司屋として大成してる。すごい寿司屋だから行ってあげて。
阿諏訪 わかった。あとで教えて。
小宮 ほかにも静かでもネタを書くのに特化したヤツもいるし、面白いなと思って喋ってたけどネタがめちゃくちゃ面白くないヤツとかもいて(笑)。で、ネタ見せが始まったら、阿諏訪が組んでたワンスターとか俺らが上になれたから、ああ、よかった、(方向性は)間違ってなかったんだなって思ってた。その辺りから一緒に他事務所のライブに出たりしてたよね。
相田 上位3組とか5組に入ってる人たちと一緒にライブに出るようになったから、阿諏訪たちとも仲よくなっていったよね。まあ、僕らは途中で(養成所を)抜けましたけど。
阿諏訪 当時から三四郎は面白いなと思ってて。最初、漫才をやってたのに、次の月はコントをやったよな? そのコントももちろん面白くて、一緒に今後は『バカ爆走』(注:人力舎主催のライブ)に出ていくんだろうなと思ってたんだけど……卒業検定くらいだったかな?
小宮 12月から2月くらいまでの間で、所属できるかどうかをはかられるんですよ。
阿諏訪 事務所のマネージャーが手を挙げたら所属が決まるんだけど、その頃、2人はぱたっといなくなったんだよね。
相田 事務所の人に「コントだな、お前らは」って言われたんだよ。で、コントやったら、みるみる失脚していって。
小宮 ワンスターが作るコントは丁寧だったし、ここと勝負してもしょうがないなと思ったりして。漫才がやりたいけどコントをやってくれと言われてがんじがらめだし、僕らの漫才ってお客さんにはウケるけど芸人にはウケなかったから、阿諏訪とかになんて思われてんだろうとか考えたら恥ずかしくて。で、NSCとの対抗戦みたいなライブでオリエンタルラジオと対決して、すげえヤツらがいるなと思って……ちょっと休みたくなったんですよね。
阿諏訪 辞めることは考えなかったの?
小宮 考えたかも。けど、ちょっと今はやりたくないなって感じだった。
相田 僕は養成所と並行して大学に通ってたから普通の大学生に戻るだけだったけど、結局やらなかったのは1週間くらいだった。ひとり入れて3人になったりして。
阿諏訪 あ・うん(プロデューサーハウスあ・うん)に入ってからかな。3人のネタも観たけど、やっぱり2人がいいよ。
小宮 あははは! 僕ら、キャラがなかったから、あべじゅりあとか入れたんだけど。
相田 その3人であ・うんに入って。あ・うんのネタ見せにワンスターも来てたけど、こっちは若手だから椅子を並べる手伝いとかしてて。
阿諏訪 びっくりした。俺の中では辞めたコンビだったのに。
相田 こっちも辞めた立場だから、(当時は)おう!とか対等に喋れなかったよね。