「笑いの次に来るもの(5)」天久聖一の笑いについてのノンフィクション【笑いもの 天久聖一の私説笑い論】第16回

第16回 笑いの次に来るもの(5)

笑いに関する考察が、いつの間にか潜在的に日本を支配するヤンキー的価値観や、その対立項として現れたオタクの起源へと滑っていったけれど、結局考えているのは、現在自分が感じるこの国の(だけじゃないかもしれない)制度や風潮がもたらす抑圧から、いかに自由になるかである。

 

●「Hentai」の勝機

 

前回紹介したメタバースや、そこに美少女として転生するオッサンたちも、自由を求める逃避のストーリー上にあると言える。自由の漂着先が徹底管理されたメタバースということ自体が、タチの悪いブラックジョークに思えなくもないけれど、少なくとも、そこでは現実世界で自分たちを縛るセクシャリティやルッキズムからは解放される。

メタバースで価値あるものは、富でも階級でもなく「いいね」で換算さえる共感指数だけど、そればかりを求めるのでは窮屈な現実と変わらない。せっかく性と外見の自由を保証された、新しい体(アバター)を手に入れたのだ。あとは自身の唯一性、つまりアイデンティティを確保するだけだ。

日本が戦後、さまざまな抑圧の中で培ってきたガラパゴス的な性癖「Hentai」は今後、アバターのアイデンティティ確立に重要な思想になると思われる。なぜならアバター同士は実質的にセックス不能なため、不可避的にフェティッシュにならざるを得ないからだ。

以前、ここで取り上げた岸田秀の「性の成り立ち」に関する論考を思い出して欲しい。フロイトによれば人間の性本能はもともと壊れており、そのせいで人は本来どんなものでも性的対象にできる「多形倒錯者」だという。

多形倒錯者の期間、つまり性的不能者として誕生してから、正常な性行為が可能になるまでの十数年間、各自がセックスの代替として無意識に選んだモノ、あるいは行為が、その人に生涯まとわりつくフェティシズムの対象になる。

メタバースにおけるアバターとは、まだ性の定まらない「多形倒錯者」に他ならない。しかもその状態は一生変わらない。アバターは不死と引き換えに永遠に成長を禁じられた存在なのだ。

つまりアバターとして転生した我々は、外見や衣装と同じように、性癖もまた編集しなければならない。

日本が培ってきたオタク、殊に「Hentai」がこれほど本領を発揮できる条件はないのではないだろうか。「Hentai」の多様性に関しては何度も述べた通りだ。

オタクの本質は母性原理から出ることなく、言うなれば一生童貞のままでいたいという夢想が根底にある。だとしたらメタバースはまさにその具現化で、オタクが黎明期からシミュレートしてきた世界と言えるだろう。いまこそあらゆる「Hentai」を総動員して、架空世界での覇権を獲りにいくチャンスではないだろうか。

 

●オッサンがキモいのはなぜ?

 

それにしても──老若男女が国籍も階級を超えて、バーチャルな世界で互いに「Hentai」として共存するという夢想は、異形のパラダイスと同程度に、なかなかのディストピアだと思う。

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