第15回 笑いの次に来るもの(4)
笑いについて考えすぎた結果、話は、いまなぜかヤンキーとオタクの系譜、そして、そこから発生したハイブリッドな「Hentai」へと続いている。笑いが常に時代と併走するなら、いま捉えるべき事象はなにか。今回も偏った思い込みに拍車を掛けて、持論を展開していきたいと思います。
▲バーチャル配信アプリ「REALITY」による著者近影。これを使えば、どんなおっさんも一瞬で美少に転生できるという神アプリ。こんな時代になろうとは!
仮想世界のセクシャリティ
2年ほど前、NHKの『ねほりんぱほりん』で「バ美肉」なる存在を知った。ネット界隈ではそれなりに知られていた言葉らしかったが、当時の僕は知らなかった。なんでも男性がバーチャル空間で美少女キャラとして活動することらしい。
というと、僕世代がすぐに思いつくのが「ネカマ」だけど、そうしたイタズラ的な仮装と違い、バ美肉は「本気」で美少女になることを目指している。
昔と違い、いまはボイスチェンジャーもあるし、3Dモデルもリアルタイムで動かせる。だから、現実ではともかく、バーチャル空間で本人がそう思い込み、周囲もそう了解してくれるなら、バ美肉おじさんは本物の「美少女」になれるのである。
当時は自分にとって笑い話の枠を出ない話だったけれど、その後のメタバース、Vtuberの盛り上がりの中で、これは年齢とセクシャリティを超越するひとつの選択肢ではないか、と自分も「本気」で思うようになった。考えてみれば、男性が女性になることは、日本文化の王道とも言ってもいいし、現在でも脈々と受け継がれる理念であったとも言える。
分かりやすい例なら、歌舞伎の女形が挙げられる。それに現在のアイドル文化にしても、漫画・アニメにしても、そこに現れる美少女はほぼすべて男性が創作した、もしくはプロデュースした『偶像』ではないか。
そして、男性がアイドルやアニメ美少女に欲情する図式は、構造的には同性愛と変わりない。なぜなら、対象の『中の人』は男だからだ。突き詰めると、乃木坂ファンは秋元康に萌えているのだ。
つい数年前まで男性が『アイドル』を求めるなら、そうした技量に長けたクリエイターやプロデューサーの作品から選ぶほかなかった。しかし、いまはバーチャル上でキャラクターのパーツを選ぶだけで、自分好みのアイドルに「自分がなれる」のである。これはすでに同性愛とはいえない、自己愛の結晶と言える。
女性側からしても、バーチャル上で美少年になるという例はこれまではレアケースだったかもしれないが、Vtuberとして美少女キャラを手に入れることは、男性がバ美肉することと変わらない。どちらも根源にある願望は、理想化された恋愛対象(=自分自身)を愛でることだからだ。
コロナ以前は眉唾だったメタバースも、Facebookが社名を「Meta」に変え、バズワード化したことで、さらに現実味を帯びてきた。
実際、いまの若い子たちを見ていると、現実とバーチャルは等価であり、ことにプライバシーは完全にバーチャルに移行している。現実はバーチャルライフを充足させるための資金調達の場であり、いまやそれさえもNFTによって不要になりつつある。
となると、現実の役割はなんだろう。差し当たって思いつくのは、末永くバーチャルを楽しむための体調管理と健康維持くらいしかない。Appleがあれほどヘルスケアを勧める理由はそこにある。
老後はメタバースで美少女として生きる──50代の中年男性に突然突きつけられた選択肢をどう捉えるか。難問ではあるが、これほど「笑える」状況もない。
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