第14回 笑いの次に来るもの(3)
▲「ものぐさ精神分析」岸田秀(中公文庫)
現在の「笑い」は、あまりに世間に受け入れられたことで逆に窮屈になり、本来の創造的パワーを失っているのではないか。だとすれば、このまま笑いに拘泥するより、さらに根源的な本能「エロ」にまで立ち返ることで、笑いの基礎概念をスクラップアンドビルドする必要があるのではないか──。
前回まではそういった思い込みのもと、個人的体験に添った80年代後半から現在までのエロカルチャーを振り返ってみた。そこで再確認したのは先鋭的な日本のエロティシズムが、オタクの手によって開拓されてきたことだ。現在の笑いがドメスティックなヤンキー精神に支えられているように、エロには高度消費社会が生んだオタク原理が働いている。ヤンキーとオタク、この二項対立を止揚することが、停滞する日本のサブカルを含めたエンタメの突破口になるのではないか──。
今回も偏った思い込みに拍車をかけて、持論を展開していきたいと思います。
●ヤンキーと、オタクと、アイドルと
日本人男性の気質は大きく二つに分けられる。ヤンキーとオタクである。
ヤンキーは縦の関係を重んじて、上昇志向が強く、なにごとも精神論。比べてオタクは階級より差異にこだわる個人主義で、すみずみまで論理的──ただし、これはオタクという言葉が世間的に流布しはじめた平成初期のイメージで、現在ヤンキーとオタクの特質は複雑に混じり合い、誰もが両属性を備えたハイブリッドだ。
初期のヤンキーとは、体制に反抗しながらも実は権力志向であり、男社会における暗黙のルールをなぞっている。対して男社会への関与を可能な限り避け、母性的庇護の下で己の欲望を求めるオタクは、当時はいつまでも大人になれない(なろうとしない)者たちの不穏な集団のように見られていた。
この視線に最も敏感だったのは当のオタクたちで、いかにモラトリアムを脱して社会の成員になるかという「卒業 / 自立」のテーマは、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』~『エヴァンゲリオン』と各時代の名作が綿々と引き継いできた。
快適な自己完結を目指すオタクにとって、実社会はもっとも忌むべき帰還先ではあったが、同時に「約束の地」でもあった。加えて当時、宮崎勤事件~オウム事件により強烈な偏見に晒されたオタクたちにとって、このテーマに取り組むことは、せめてものモラルだったのかもしれない。
ところが、そんな至上命題は意外な結末をみせる。解決する以前に、なんと命題自体が雲散霧消してしまったのだ。
ネットの急速な普及、コンテンツ産業の隆盛、そして日本経済の衰退により、オタクは卒業を禁じられ、さらなる自己研鑽と地産地消を求められた。
クールジャパンの大義名分のもと、急に押しつけられたメインストリームに戸惑ったのは、当の本人たちではなかったか。日陰に属する者は肯定されることで、逆に裏切られたような心境になるものだ。
そんな中、オタクとヤンキーの融合をもっとも戦略的に実行し、成果を上げたのがアイドル文化だろう。アイドルというオタクにとって最高の素材を、ヤンキーの世界観で競わせる。ピラミッド式の階級制度で目標を与え、握手券をさばき、総選挙を実施する。
いわば男社会の成り上がりストーリーを、若い女性で演じてみせる。そのノリはどこまでもヤンキー的だけど、支えているのはファンのオタク気質である。
オタクの行動原理の最たるものが「人形遊び」だ。自分は決して傷つかない立場でキャラクター同士を戦わせ、あるいはその様子を鑑賞して悦に浸る。
フィクションの中ではなく、現実でそれをやるには肉体を持ったヒロインが必要である。アイドルはそのために召還された戦士であって、以前のような崇めるための偶像ではない。オタクがアイドルを「推す」のは、それが自分の分身だからに他ならない。
●変態の可能性
フロイト派の思想家「ものぐさ精神分析」で有名な岸田秀によれば、ヒトの性本能はもともとぶっ壊れていて、そのせいで人間は本来どんなものでも性的対象にできる多形倒錯者だという。
それは性欲の出現と性器の成熟に10年以上の誤差があるからで、人は性欲を持ってから相当長い間、正常な性行為ができない不能者として過ごさなければならない。 もっともそれが育児の必然性となり、ヒトを社会性動物に進化させたのだが。
ただ幼児には性欲自体の正体が分からないから、そのもどかしさをさまざまな手段で解消しようとする。この性の設定が曖昧な時期に何かに対して性的快感を覚えれば、それが性癖になるという。
つまり人は何かの偶然でどんな変態にもなれるということであり、それが明らかに反社会的性癖であった場合は悲劇だが、クリエイティブにとっては迎えるべき可能性と言えるだろう。
おそらく日本のオタクは、この「変態の可能性」を意識的に追求しているように思える。
前述したアイドル文化におけるオタクとの関連性を考えていたとき、もっとしっかりオタクの最前線を知らねばと、ネットで成人向けの同人漫画を漁った時期があった。
正直「なにやっとんねんこいつら」というのが率直な感想だったが、リミッターを排した性表現がこれほど異形かつ多様な進化を果たしていることに感動も覚えた。それに作画技術のクオリティはため息が出るほど見事なのだ。
アヘ顔、NTR(ネトラレ)、挿入の断面図、多種多様なオノマトペ……日本人の性的妄想が生んだ無数のカテゴリー。
面白いのは、出来のいい表現はちゃんと拡散共有されている点で、そこにはお互いの敬意すら感じる。マイノリティ同士の連帯感はどんなジャンルであれ清々しい。
個人的に一番グッと来たのは「ふたなり」もので、巨根を備えた美少女には神話的な魅力がある。
最近では同人の音声作品が面白いと聞き、早速探してみた。ASMR以降盛り上がりを見せているこのジャンルはまだ成長過程にあるようだが、男の最低な妄想にしっかり応える声優さんの表現力が素晴らしい。
聴いた中で面白かったのは、全裸で山に捨てられていた自分(視聴者)が、やさしい女性に保護されるも、自分は性に関する記憶を一切失っており、女性に間違った性知識を植え付けられた上で、精液目的の家畜としてひたすら射精を強制されるという作品だった。
オタクのエロは新参者の中年が覗くにはあまりに深く膨大だけど、オタクの本質はジャパニメーションよりむしろこちらだし、岸田秀によるフロイト説を信じるなら、ネットネイティブの性癖はさらに多様化するはずだ。
モラル崩壊を憂うのは簡単だが、日本の行く末を案じるなら、むしろこの事実にこそ「勝ち目」を見出すべきかもしれない。
●敗北を継ぎし者
ネットでエロ漫画を探しているときに見つけた「E-Hentai」はその界隈で超メジャーな海賊版サイトらしいが、驚くのはそこに上げられた膨大な作品のうち、かなりの数に多言語の翻訳がついてることである。英語、韓国語、中国語、スペイン語……エロは容易く国境を越える。
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