「映画は”それ”を待っている-『偶然と想像』『パワー・オブ・ザ・ドック』鑑賞レビュー」【戸田真琴 2022年1月号連載】『肯定のフィロソフィー』

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 AV女優を始めて間もない頃、メーカーの広報さん達が一生懸命ラジオやイベント出演の仕事を持ってきてくれるのに対して、私はあまりにも世間知らずだった。共演する芸人さんのネタを知らない。そもそも名前もわからない。ラジオ収録が終わるまで、脇汗をだらだらとかきながら必死で知ったかぶりをするのはもうやめにしなければいけなかったのだ。高校2年生くらいである日急に思い立ってテレビ断ちをすると決め、親に「わたし今日からテレビ見ないから」と言い放って以来、わたしはテレビの世界を日常的には目にすることのない暮らしをしていた。そんな自分を変え、ついでに流行りの芸能人とMステと天気予報などを観る機会を得るために、ある日AVのギャラを握りしめ颯爽とビックロに行った。なにもわからなかったので、店員さんに「一番いいやつをください」と言ってすすめられるがままに20万のテレビを買った。当然マジでたっかいなと思い悩んだけれど、一度レジまで連れて行かれたらプライドが邪魔して引き返すことができなかった。あれからそいつは、どんなに部屋が散らかっているときも変わらぬ顔で部屋の四辺のうち一角にのっぺりと鎮座する、横置きのモノリスと化している。テレビもゲームも興味がないので、モノリスはほとんどの場合映画かライブDVDの再生に使われる。年末はもっぱらその馬鹿でかい画面で向井秀徳が歌っていた。ちゃんと集中することさえできれば、たまに猫が横切ること以外は申し分ない、小さな映画館みたいな上映環境だ。ノートパソコンとテレビとをHDMIケーブルで繋ぎ、今日はそこで濱口竜介監督の「偶然と想像」を観る。

 上映時間はきっかり2時間1分。劇場公開と同時に配信が始まるという、敷居の低い上映スタイルに安心感を覚える。3編からなる短編集で、ポスターの温度感がそのまま実写になったかのような、過剰な演出のない人々の風景。親友同士の女性二人のタクシー内での何気ない恋の話から、単位が足りず留年した大学生とそのセフレの女性、芥川賞をとった大学教授の話、そして仙台の街で20年ぶりに再会した高校時代の同級生二人……日常の延長線上のような会話劇から映画は始まる。軽快にリアリティをなぞっていくセリフ、そして俳優達のあまりに風景に馴染む芝居のなかに、時折ぴりっと、糸のようにか細い針で刺されたかのような、見間違いかのような、でも確かな緊張が走る。それらを何度かくりかえすうちに、物語が知らず知らずのうちに俗世を超越した別のレイヤーに達している。ごくありふれた俗物としての人間同士の会話から連なった先がいつの間にか神聖な方角へ向けられるつるつるとした白い数珠になっていたような、神様のひみつのパズルがふいにはまってしまったかのような、言い表しようのない聖なる一瞬がやってくるのだ。

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