“黒のカリスマ”蝶野正洋参戦!1980年代の混迷期…そんな時代にケンカキック!?【連載『神田伯山の“真”日本プロレス』#5延長戦!】

今年1月4日。新日本プロレス東京ドーム大会のテレビ中継で、講談師・神田伯山とアナウンサー・清野茂樹のコンビが副音声で特別実況を担当。試合内容を伝えず、プロレスに関するよもやま話に終始するという画期的すぎる実況スタイルが賛否両論を呼んだ。そして、主音声の放送席にいた蝶野正洋がTwitterで「伯山さん、清野さん、頑張ってもっとしゃべってください!」と苦言を呈する事態に発展。そんな蝶野が、伯山と清野が日本のプロレス史を語り尽くす番組『神田伯山の“真”日本プロレス』(CSテレ朝チャンネル2)にゲストとしてやって来た! これは、令和の「“ギブUPまで待てない!!”事件」(注1)なのか!? 伯山&清野に制裁のケンカキックか!?……などということはなく、蝶野のサービス精神満点のトークで、収録はいつも通り、大盛り上がり。しかも、この延長戦にも緊急参戦していただくことに! 問題の1月4日の裏話から、今回のテーマである1983~1985年の大激震期の新日本プロレスについてまで、たっぷりと語ってくれました。“黒のカリスマ”の貴重なトークをどうぞ!
取材・文/K.Shimbo(この時期のもう一度見たいシーンはジャイアント・マシーンが登場した瞬間)
撮影/ツダヒロキ(同じく、ムーンサルトプレスがすごすぎた1987年IWGPタッグ選手権 前田日明・高田伸彦VS越中詩郎・武藤敬司)

注1 1987年に放送されたプロレスとバラエティーを融合させた伝説的なテレビ番組。司会の山田邦子の質問が馳浩(現衆議院議員)の逆鱗に触れた。現在は和解。

<プロフィール>
神田伯山(かんだ・はくざん)●1983年東京都生まれ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門し、「松之丞」に。2012年、二ツ目昇進。2020年、真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談師としてもさることながら、講談の魅力を多方に伝えるべく、SNSでの発信やメディア出演など様々な活動を行っている。現在は『お願いランキング・太田伯山ウイカのはなつまみ』(テレビ朝日)、『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)などに出演している。
清野茂樹(きよの・しげき)●1973年兵庫県生まれ。広島エフエム放送(現・HFM)でアナウンサーとして活躍。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)で数々の名実況・名言を生み出した古舘伊知郎アナウンサー(当時)に憧れ、宿願だったプロレス実況の夢を実現すべく、2006年フリーに。2015年には新日本プロレス、WWE、UFCの実況を行い、前人未到のプロレス格闘技世界3大メジャー団体を実況した唯一のアナウンサーになる。『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)のパーソナリティーとしても活躍。
蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)●1963年東京都生まれ。1984年に新日本プロレス入門。同期の武藤敬司、橋本真也とともに「闘魂三銃士」を結成し、1990年代の同団体の黄金期を支える。特に「nWo」旋風は各界の著名人がTシャツを愛用するなど社会現象となった。現在は救急救命や地域防災の啓発運動を積極的に行うほか、YouTubeチャンネルでの発信などを積極的に行っている。公式【蝶野チャンネル】CHONO Network

『神田伯山の“真”日本プロレス』
CSテレ朝チャンネル2 毎月第3土曜 午後11・00~深0・00
出演 神田伯山 清野茂樹(実況アナウンサー)
●“最もチケットの取れない講談師”の神田伯山と、プロレスに魅せられた実況アナウンサーの清野茂樹が、テレビ朝日に残された貴重な映像を観ながら、プロレスの歴史をマニアックに語り尽くす。そのほか、当事者を招いて真相を探る「真のプロレス人に訊け!」や、現役プロレスラーの魅力を深掘りする「最“真”日本プロレス」といったコーナーも。
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/recommend/hakuzan/

https://tvbros.jp/%e3%80%90%e9%80%a3%e8%bc%89%e3%80%8e%e7%a5%9e%e7%94%b0%e4%bc%af%e5%b1%b1%e3%81%ae%e7%9c%9f%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%80%8f%e3%80%91%e8%a8%98%e4%ba%8b/

ドン荒川含めて先輩全員が強烈だった(蝶野)

――1・4東京ドームでは、蝶野さんがTwitterで伯山さんと清野さんの実況にクレームを入れたようですが……。

蝶野 いや、何をやっているんだろう? という感じで(笑)。実況っぽいことは話さないし、そもそも、天下の伯山さんがせっかくプロレス中継に出てくれているのにな、と。本放送の方に入ってこられてもいいくらいなのに、副音声でやられていたから、もったいないなって思ったんです。

――お2人は蝶野さんのTwitterでの反応を見て、どう思いましたか?

伯山 僕はまずめちゃくちゃ嬉しかったですね。蝶野さんが聞いていてくれたんだって。でも、ああいう実況をやるしか選択肢はなかったですよね、我々には。

清野 確かに(笑)。それに、僕はあれをやりたかったというか。普通の中継はさんざんやっているじゃないですか。副音声で自由に、試合を追わない実況を1回やってみたかったんです。

伯山 やっぱり、選手が戦っている時に違う話をしていたら失礼じゃないですか。だからリングサイドの実況席に選手が近づいてきたら、少し小声になったりして(笑)。矛盾しますけど、一応、選手に失礼のないように、ということは心がけていたんです。“僕たちは選手を尊敬している”というワードを10分に1回は入れていたり(笑)。

清野 入れていましたね。リングアナの「10分経過!」のアナウンスを聞きながら、そろそろ言っておこうと(笑)。

伯山 あの副音声をやらせていただけたのは、新日本プロレスの懐が広いところですよね。蝶野さんにもいじっていただいて。とても、ありがたかったです。

清野 そうですね。団体に体力がないと副音声なんてできないですから。

――後日、蝶野さんから伯山さんに贈り物があったと聞きました。

伯山 そうなんですよ! 蝶野さんはご自身のブランド(注2)で和服もプロデュースされているので、その履物などをいただいて。

注2 蝶野はファッションブランド「ARISTRIST(アリストトリスト)」をプロデュースしている。

蝶野 ちょっと前のものだったんですけど。伯山さんには、やっぱり和服がいいかなと思って。

伯山 それで普通、終わるじゃないですか。その後も美味しいパンとか、ブランドと関係ないものもいろいろと贈っていただいたんです。それにすごい感動して。これは、ドン荒川(注3)さんに学んだことなのかなと(笑)。

注3 新日本プロレスで蝶野の先輩だったレスラー。尋常ではない顔の広さで、長嶋茂雄とは多摩川沿いをジョギング中に知り合ったという。

清野 人付き合いについてですね(笑)。

伯山 タニマチとの付き合い方とか。

清野 だって荒川さんは、長嶋茂雄さんとも交流があったんですよ。

伯山 それ、すごいですよね。

――番組ではドン荒川さんとのエピソードを語っていましたが、蝶野さんにとって、ほかに強烈だった先輩はいますか?

蝶野 全員です。普段見たことないような方たちばかりでしたね。みんな変わっていました。一般社会では通用しないだろうなっていう(笑)。でも、プロレスはそういう人たちを受け入れる、堅気になれないような人たちが入ってくる社会でしたから。それが俺らの世代から少し変わってきて、今の若い人たちは全然違う。一昔前の先輩たちと今のレスラーはまったく違う人種ですよ。

伯山さんがプロレスに興味があってとても嬉しかった。だからこの番組は……(蝶野)

――今回は1983年からの新日本プロレスの混迷した時代がテーマでした。蝶野さんは1984年の入門ですが、当時の様子を教えてください。