猫のつまらない話 第19回【2月号 能町みね子 連載】

文&題字イラスト/能町みね子 写真/サムソン高橋

1年半の連載が書籍となって、2022年2月22日ニャン×6の日に発売!
先月はその作業のためにお休みしましたが、一回休んで本を作ってリフレッシュして、新たな気持ちで愛猫との日々を綴ってもらいます。

前回ほかバックナンバーはコチラでも読めますが、書籍には撮り下ろしグラビアや番外編、サムソン高橋さんの寄稿なんかも収録しているので絶対買ってね!

詳しくは特設ページをチェックしてください🐱

ウチの猫について書くことがもう何もない。

いままでどうにかこうにか書きつづけてはきたものの、いよいよ何にもない。ないぞ。

だって結局「猫はかわいい」しか言うことがないんだから。

文章を書いて生活している者が猫について書き出したら終わりだと、私は前から思っているのだ。だって猫なんて、かわいいから。猫があんなことやこんなことをして、結果、かわいい。猫のエッセイと言ったらまあおそらくそういう文章になる。世に警鐘を鳴らしたりはしないし、「鋭い視点」なんて特に生まれないし、まさかあそこで撒かれた伏線(床に落ちていた猫のヒゲなど)がこう回収されるなんて(あのヒゲのおかげで私たち結婚しました、など)!みたいなカタルシスもない。ほんわかやわらかフワフワもふもふエッセイになってしまう。そんなもの書いたら、もう私も爪をぬかれた猫である。そんな慣用句、あったっけ?たぶんないよね。そんな猫、リアルに想像したらすごくかわいそうだったので今の言い方はやっぱりナシ。

いや、まあ、ほんわかふわふわじゃない猫エッセイもあるよね。まず、猫が死んでしまうもの。別れについて。これは……泣いてしまうやつだ。こないだも私はツイッターでそういうマンガが流れてきて、鬼バズっていて、まんまと少し泣いてしまった。うちの子まだ4歳(推定)だし、リアルにはちょっと考えたくない。まだまだ死なない予定なので、やめときましょう。そういう内容については今のところナシ。

猫を飼うにあたって問いかけるタイプのもの。そういうのもある。地域猫、保護猫、里親、ペットショップなるものの在り方、そういった言葉がたくさん出るもの。読者にちゃんと考えさせ、今後の世の中をいい方向に向かわせるもの。そういう内容は、非常に大事なことであるけれども、私の書きたいことではない。そもそもウチの小町は狭義の保護猫でもないし、ペットショップで購入した子でもないし、実に中途半端な(でも世界一かわいい)子である。私の経験から書けることは、今のところそういう分野にはない。


じゃあ君が書きたいのは結局なんなんだね、さっきからニャーニャー言うとりますけども、結局何が書きたいというのかね。

だからね、別に書きたいことがあるわけじゃないんですよ。

私は確かに、すでに猫で本一冊分書いてはいます。「私みたいな者に飼われて猫は幸せなんだろうか?」という、私自身が覚えられない非常にノンキャッチーなタイトルの本を上梓しておりますんですよ。そもそもそれだって「猫のエッセイなんかつまらない」「特に書くことない」とぐちぐち書いていたら一冊分になってしまったという、メインの曲がないのにボーナストラックだけ作ったみたいな、映画がないのにオーディオコメンタリーだけ作ったみたいな、そういう奇妙な産物なのです。

それなのに、編集の西村が、まだその続きを書けというのである。

冒頭に書いたように「もう書くことがない」っていう書き出しになるのだってしょうがないでしょう。

本1冊書いたけどさ、あれだって、要約したら「猫はかわいい」ですよ。入試に使っていいですよ。あの本を全部読ませてね。この文章を通じて作者の言いたいことは何か、6文字で答えよ。って。

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