「お洋服を着ること、世界にとって善いことをすること」【戸田真琴 2024年9月号連載】『肯定のフィロソフィー』

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※本連載はTV Bros.10月号あいみょん特集号掲載時のものです

 

 こんなふうに世界に存在していたいな……。と買ったお洋服のなかで、わたしの身体では理想通りに着ることができなかったいくつかの特別なお気に入りを、知人にプレゼントした。お下がりをプレゼントと呼ぶのも少し違和感があるけれど、どれもブランドの展示会で直接見て触れて試着して、ちゃんと惚れ惚れとして買い付けた安くない代物なので、贈り物と呼んで差し支えないほどきちんとかわいい。ユニセックスのお洋服たちだけれど、わたしはそれらを予約するとき、男の人だったらこんな服が着たいな、と確かに思い、この身体で着るのはきっとすこし無理をして……髪型や顔をヘアメイクでお洋服の雰囲気に寄せて、体重の増減や顔色など体調も調子をととのえて、自分が素敵だと思える自分の状態になって、ようやくぎりぎり着られる程度だろう、とわかってはいたのだ。贈った相手はしなやかで無駄のない身体とくっきり整った顔立ちを持つ男の子で、つまり私のやわらかそうで緊張感がなく見える顔や身体とはかけはなれた容姿の人で、その人に服を着てもらったとき私はとても、彼に対してではなく世界に対して善いことをした、という気持ちになった。病院のベンチに木漏れ日の影がゆれる数秒だとか、観覧車の高くゴンドラから見下ろした水面と乱反射する午後の光だとか、見ていてしっくりくるようなもの、このものはこのとおりにして存在すべきだと思えてならないようなものを目撃したときの、私の個人的な感情とさえ思えないもっと大きな何かによる歓びの感覚をちょうどこの身体でも感知したかのような、そういった、正しさと形容して構わないだろう善いこと、をしたのだと思った。その人はいつもわたしの着ている洋服とわたしの身体や声や表情や髪やメイクとの調和自体のことを褒める。靴下の色と靴の素材と色の組み合わせに気づいて感心のため息をつく。わたしはそのたびに月並みな誇らしさを感じる。そう、良さを感じ取れる人の前で良い格好をすることはただ好きな服を着ることの数倍気持ちの良いことなのだ、それはどうしてもそうなのだと思う。あなたみたいにかわいくなりたい、と言われると、それを私が着たかった服が私よりもずっと似合う身体を持っているあなたが言うのか、と少し仰天するものの、その言葉を歓びとともに受け取って、私はわたしの洋服選びのやり方にあらためて感心する。服がよろこんでいると私もうれしい。服がよろこぶだろう着られ方をしているのを見るのは幸福なことで、その目出度さに半分くらい心を売り渡していた時期が私にもあった。たとえば高校生になってアルバイト代のほとんどを原宿にあるMILKの本店やCANDY STRIPPER、KatieやRNAで買い物をするのに使っていたことや、大学の奨学金として振り込まれたお金を本革のブーツやツイードのコート、そしてあらゆるドレスを買うのに使っていたこと(この頃は「FURFUR」がまだ小文字の「furfur」で、レースもフリルも布自体もたくさん使った生成りのドレスを幾つも買った。TSURU by mariko oikawaでジュート素材のエスパドリーユを買い、GINGERALE TOKYOで百々千晴のデザインした息を呑むような赤いヴェルヴェット素材のドレスを買った。いつもドレスばかり着ていた)。AV女優になって貰ったギャランティで中国のユニークなアパレルを幾つも通販し、また原宿に戻り今度はMILKの裏にあるGABLIELLE PECOでインポートのランジェリーを買い込む。ハイブランドもジュエリーも興味がないのに、レースのむこうに乳首が淡く透ける繊細なランジェリーには数十万単位でお金を使った。試着をしてそのディティールを感じ取るということがほとんど、明日以降を生きるためではなく、まず今日だけを生きるわたしに入れ替わる儀式であった。

 

 WHITE CINE QUINTOで『下妻物語』のリバイバル上映を観る。何年経っても初見の頃と感想は変わらず、ああ、桃子とイチゴの両方のようでありたい……とうっとりする。母が自転車で買いに行ったしまむらの服を着て、父の不良マンガと母の少女マンガがスクラップ工場のようにみだらに積まれた家で育った私は、高校に入ってようやく活字を読むことを覚えた。といっても難読症のため指で文字をなぞりながらぶつぶつと図書室で読み上げ続けても大した量を読めなかったが、嶽本野ばらの本は読みやすさ以上にそこに書かれたファッションへの執拗なこだわりに対する興味で、何冊かは読み通すことができた。活字を読んでいるというより、布やフリルやレースや刺繍の質感を指でなぞっているような快楽があり、それは所沢の学校から放課後、電車で1時間強をかけて原宿へ行って閉店間際のMILKに駆け込んでいた私にとっては共感するところが少なくない物語たちだった。とはいえ、野ばら作品の主人公達のように親の通帳から数十万をおろしてVivienne Westwoodを買ったりパチンコで大当たりを出してBABY,THE STARS SHINE BRIGHTを代官山まで買いに行くようなことまでは出来ず、私にできるのはせいぜい、自分が稼いだり自分に所以して入ってくるお金をある程度あぶく銭として見て、それを主にお洋服に使う、ということくらいだった。ちゃんと学費を滞納したり、光熱費が払えなくなったり、家に服が収まりきらなくなって足の踏み場がなくなったりとそれなりに破滅的ではあるけれど、わたしは明日のご飯代がなくなってもなんだかんだで誰かが助けてくれて生き延びられるタイプで、さらには、なんだかんだで本当に危険な目にも遭わないような、そういうぬるい人生を生きられてしまうタイプである。物語の中で美しいまま世間に染まらずに死んでゆく美少女や美少年の役回りは決して手に入らない、それらを目撃しながら生き延びゆく頑丈な生命体なのである。

 

 最初に読んだ野ばら作品はこれだったな、と思い出し、十五年ぶりくらいに青い表紙の「ミシン」という単行本をひらく。そのはじめに入っている「世界の終わりという名の雑貨店」という短編には、全身Vivienne Westwoodの16、17歳の神経症の美少女と、yoji yamamotoかCOME des GARSONEしか着ないと決めている、小さな雑貨店主の27歳の男性が出てくる。こう打っているだけで血の気が引くほどあざとく耽美的(これがほんとうの耽美かどうかは疑問が残るけれど、少なくとも耽美的、ではあると思う)な設定に、当時の私が憧れていたという事実があらためて突き刺さる。少女は彼と逃避行し、初めて知ったセックスに明け暮れ、そしてそれを禁じられた末に自死する。もはや踏むべきでないものをさんざん踏んでいるこの物語にそれでも学ぶことは、生きゆくものの頑丈さである。残された男は、臆病さゆえに生き延びることしか選べず、そして鮮烈な彼女のことさえいつか忘却していくという確信を手放さない。下妻物語は生命力にわかりやすくあふれ、とんでもない嘘をでっちあげても生き延びる、たくましさは優雅さだ、心根が腐っているほうが壊れない、壊れないで明日も好きなお洋服に身を包んで街を闊歩するのだ、明日を生きるお金を考えず、明日を生きる身体と精神だけが暗闇にうかびあがり、それが永久に止まない。今のわたしは初期野ばら作品からそっちを受け取ってしまう。生きる方、という意味のそっち、を。

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