日本を代表する大ベテラン脚本家・荒井晴彦が、松浦寿輝の芥川賞受賞作「花腐し」を換骨奪胎、ほぼオリジナルな映画として自らの手で生まれ変わらせた映画『花腐し』。高く評価された『火口のふたり』(19)に続く荒井の監督4作目であり、代表作を更新した本作は、観る者を無傷では帰さない意欲作だ。身も心も濡れそぼるような梅雨のある晩、一人の女をめぐる奇縁によって男二人の人生が交錯し、酒と思い出に溺れていく――。綾野剛と柄本佑、趣を異にする二人の色気や懊悩が濡れた街に乱反射する、そんな現場の裏話をたっぷり語ってもらった。
なお、この記事は『TV Bros.』本誌12月号(発売中)でも読むことができます。
取材・文/折田千鶴子
撮影/石垣星児
ヘアメイク/石邑麻由 スタイリング/申谷弘美(Bipost)<綾野剛>
ヘアメイク/AMANO スタイリング/坂上真一(白山事務所)<柄本佑>
■純粋にファンである佑君と一緒に物語を紡げる喜び
――荒井晴彦監督作に綾野さんは初参加、柄本さんは『火口のふたり』に続いての出演です。
柄本 二度目はハードルが上がるので、割と緊張して現場に入りました。というのも前回ちょっと……いや、大失敗して(笑)。“少年のようなセリフだな”と思っていたら、初日にセリフを口にした時、これは何周もした上での少年であり、メチャクチャ大人のセリフだと感じたんです。脚本を間違えて読んでしまったことに気付き、とにかく方向転換して(笑)。
綾野 そういうこと、ありますよね。今回はマッチョでストイック、且つ非常に精度が高い脚本だったので、自分がどう生きればこの通りになるのか畏怖さえ覚えました。でも同時に圧倒的な“映画の匂い”がして。そこに入って同じ時間を過ごしたいという気持ちが、恐怖をはるかに凌ぎました。荒井さんとご一緒できるのも嬉しかったし、純粋にファンである佑君と一緒に物語を紡げる喜びも感じていました。
柄本 今回は、自分から提案したこともありました。例えば衣装も、僕が演じた伊関の若い時分は、映画のTシャツがいいとか。ポスターで着ているコートとズボンも、自前で持っていったものです。実はこのコート、奥田瑛二さんからいただいたもので、それを衣装合わせで持っていったら、“おお、いいね”と荒井さんがおっしゃって。そして“終わったら俺にくれねえか”と。そこで奥田さんに確認したら、“いいな、それ。じゃ、荒井にあげよう”ということになり、今は荒井さんがお持ちです。
綾野 エモいですねぇ。現場では荒井さんの人間力や撮影の川上(皓市)さんのカメラ、各部署によって、私が栩谷(くたに)として豊かに居られる状態をずっと作れた気がします。
――斜陽を辿るピンク映画業界で5年撮っていない監督の栩谷、かつて脚本家を目指し、今は夢をあきらめている伊関。ふたりともダメ男ですが、演じる上でどんなことを感じましたか。男としては、“分かるわ~”という部分もあったのでは?
綾野 僕は役を他者として捉え、共感性を全く求めないんです。現場では佑君が演じた伊関に、ずっと感謝していました。ふたりの会話が成立しているのは、つまり栩谷が生きている証明でもある。そういう意味では、栩谷と伊関は鏡のように対面する関係性だと思います。
柄本 僕も役に対しての共感は、まず考えないですね。確かに伊関はそう(嫌な態度や行動をとる)なんですが、僕が自発的にやっていることじゃないからな(笑)。
綾野 (栩谷も伊関も)すごくピュアなんですよね。
柄本 本当にピュア。しかも男ふたりで女性のことを話しているシーンがロマンチシズムの塊みたいになっているなんて、やっぱり荒井さんのスゴイところだと思いました。だって普通は美しい記憶へ書き換えたくなるじゃないですか。でもそれをせず、その時の痛みを痛みとして抱えたまま、今でもチクチク来ている感じを表現している。
綾野 回想シーンなんか、まさにそれですよね。回想がカラーだから、余計にグサグサ刺さるんですよね。現在がモノクロ、過去がカラーというところに、ある種の残酷さを感じます。
――ふたりが狭いバーで話すシーンが、たまらなくスリリングで面白い。間に回想が挟み込まれていきますが、あのバーの長い会話シーンは一気に撮られましたか?
綾野 基本的にはワンテイクで撮っていきました。
柄本 川上さんが出来るだけ1回で済むようにセッティングしてくれたんです。もちろん角度を変えても撮りましたが、カット割りなどがすべて構築されていて、無駄なものは全く撮らないので合計4回くらい、2日で撮り終えました。
綾野 “ここで回想に入る”とカットを割ることなく、行けるとこまで行って。
柄本 むしろ手間がかかったのは、二人がアパートで話すシーンです。会話があり、回想があり、次の会話では、時間の経過とともに、どれくらい飲みや酔いが進んでいるか、吸ったタバコの量まで合わせていく必要があって。
■作品を観てよりいっそう感じた、荒井晴彦さんの劇の凄み
――アパートで絡み合っていた女性二人と、伊関が絡んでいくシーンも面白かったです。あの辺もワンカットで回していますよね!?
柄本 セッティングの都合で2回やらなければ、ということになった時、川上さん(77歳の大ベテラン)がとっても申し訳なさそうにされていて(笑)。むしろ、あんなアクションシーンを2回で終わらせることの方が驚異的なのに、頑なに“ごめん、2回やらせなければならない”と。実際、2回戦で撮り終えました。
綾野 川上さん、本当に桁違いな方ですよね。
――伊関が女性たちに身体を責められ、最後はお尻に入れられ……。されるがままの伊関が可笑しくて、つい爆笑してしまいました。
柄本 前戯から、挿入のタイミングから、お尻に入れられるタイミングまで、全て台本に則って演じました。インティマシー・シーンでもあるので、一度リハーサルで動きを付けてやってみた時、監督が、“これは女性側から男への復讐劇だ”とポロっとおっしゃって。これはそういうシーンなんだ、と。
綾野 本当にお見事でした。
柄本 どういう仕掛けにするか、お尻に刺さっている姿をどう撮るか話し合いました(笑)。
綾野 すごくこだわって撮ったシーンですよね。本当に素晴らしかったです。
――そして、かつて伊関と付き合い、最近まで栩谷と暮らしていた祥子について、バーで二人は、「いい女だったよな」と語っていましたが……。
柄本 本当に、偉そうにね(笑)。
綾野 酔いに任せて何を言っているんだって。
――祥子とのシーンで、とりわけ忘れ難い、印象深いシーンを挙げてください。
綾野 完成した映画を観て、伊関と祥子が最後に肉体を交わすシーン。何もない部屋で、何かの塊が何かを捕食するように、埋め合うように交わっている姿が愛おしくて。呼吸するのを忘れ、感激したんです。栩谷の知らない、また本当の祥子がそこにいた気がしました。
柄本 僕は、祥子が浮気をした後に栩谷の元に帰って来て、栩谷が背を向けて寝ている後ろで泣いている、そこからの一連のシーンが好きなんです。翌朝、栩谷が祥子に“パックは洗ってから捨てろ”なんて会話をしているんだけど、そこからいきなり“問う”、というのがスゴイ。脚本を読んだ時もですが、映画を見てやっぱりグッと来ました。ああいう角度から入ってくるんですよね、荒井さんの劇って。いきなりぐんと下がるフォークボールみたいな。
綾野 僕も、“誰なんだ”と発声した瞬間、自分でもビックリしました。自分が言うと分かっているセリフなのに、言った瞬間驚いてしまった。栩谷自身、何をどう話すか組み立てていたのに、ここで“誰なんだ”が入ってくるとは本人も思っていなかったというか。
柄本 それこそ、まさに荒井さんの凄みを感じました。
――さとうほなみさんの熱演もあり、それぞれ祥子との絡みのシーンは、非常に意味のある、時に切なくなるような見応えのあるシーンになっていました。
綾野 肉体で対話・会話しているという新しい発見がありました。肉体で愛情や不安など、気持ちを表現するシーンである、と。ほなみさんは本当にカッコ良かったです。大らかで男前で、でも動物的な直感力もあって。現場をいつも明るくしてくださいました。
■Profile
綾野剛(写真右)●1982年1月26日生まれ、岐阜県出身。2003年の俳優デビュー以降、数多くの映画やドラマに出演する。『日本で一番悪い奴ら』(16)で日本アカデミー賞主演男優賞、『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(19)で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。2024年1月には、映画『カラオケ行こ!』の公開が控えている。柄本佑(写真左)●1986年12月16日生まれ、東京都出身。『美しい夏キリシマ』(03)で主演デビュー。2019年には主演3作品『素敵なダイナマイトスキャンダル』、『きみの鳥は歌える』、『ポルトの恋人たち 時の記憶』で毎日映画コンクール男優主演賞、キネ旬ベスト・テン主演男優賞などを受賞。2024年の大河ドラマ『光る君へ』(NHK)に出演。
■作品紹介
『花腐し』
●ピンク映画界で監督をしている栩谷(綾野)は、もう5年も映画を撮れていない。家賃の支払いにも窮し、大家の事務所に出向いたところ、取り壊し予定のアパートに居座る男を説得して立ち退かせれば、家賃分に色を付けた経費を渡す、と持ち掛けられるのだった。その男、伊関(柄本)はかつて脚本家を目指していた。そして二人は会話を重ねるうち、過去に愛した女性が、同じ女優・祥子(さとう)であることに気付くのだった。
監督:荒井晴彦 原作:松浦寿輝 脚本:荒井晴彦 中野太 出演:綾野剛 柄本佑 さとうほなみ マキタスポーツ 山崎ハコ 赤座美代子 奥田瑛二ほか(2023年/日本/137分)
テアトル新宿ほかで現在公開中
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