オリンピックの行方
家でプレバトを観るつもりだった。
もういつ始まったかも思い出せない緊急事態宣言下、外食もせず直帰するようになった俺のささやかな楽しみが、ビールをプシュっと開けてプレバトを観ることだった。
四十過ぎの独身男にとって、将来への不安を束の間忘れる手段は、毒にも薬にもならぬバラエティ番組を観るくらいしかなかった。
最寄り駅で降り、行きつけのコンビニでビールと弁当を買って、自宅アパートに向かう途中、突然後ろから羽交い締めにされた。叫ぶひまもなく口を塞がれ、薬品の刺激臭が鼻を突いた。
意識はそこで途切れた。
再び気がついたとき、視界は目隠しで閉ざされ、肌は直接空気に触れていた。
尻の下には固い椅子の感触。両手は後ろ手に縛られている。全裸で監禁されていることは明らかだった。
恐怖のあまり気絶と覚醒を繰り返し、俺はようやく自分の状況を受け入れた。足もとの違和感に気づいたのはそのあとだった。
右足と左足の高さが違った。
左足の裏は床についていた。しかし右足の裏は床より少しだけ高い位置にあった。指の間に食い込む鼻緒の感触と、微かに立ち上る桐の香りから、右足だけに下駄を履かされていることを悟った。
背後で扉の開く音が聞こえ、コツコツと足音が近づいた。ぶり返す恐怖を必死で抑えた。足音は真後ろで止まり、耳元に吐息が掛かった。
「申し訳ございません。すぐに終わりますので」
丁寧な男性の声だった。その言葉の意味を考えようとした瞬間、右膝に激痛が走った。直角に曲げた膝が水平に跳ね上がり、穿いていた下駄が床を転がる乾いた音が響いた。
「ありがとうございました」
再び嗅がされた薬品の匂いに意識を失いながら、俺はたしかにそう聞いた。