シン・モモンゲリオン『尻』ネタバレありレビュー
シン・モモンゲリオンの完結編『尻』がついに公開された。多くの熱狂的ファンに支えられながらも、一時はその完成さえ危ぶまれた本作が無事公開されたことをまずは素直に喜びたい。
しかし、公開されるたびに物議を巻き起こすモモンゲリオンシリーズは、見終わってからが本当のスタートだと言える。しかも本作が足かけ25年の締めくくりとなれば事態は推して知るべしだろう。事実、ネットにはいまも無数の感想と考察が上がりつづけている。
本稿もまた14歳でモモの洗礼を受けた名も無きライターの戯れ言に過ぎない。戯れ言ならば、なんの規制にも囚われずネタバレ上等で見終わった感想を述べてみたい。これはモモに別れを告げる自分への卒業証書でもある。
まずは『尻』に至るモモの経歴を振り返っておきたい。ちなみにモモンゲリオンの元ネタは周知のごとく日本一知られた民話『桃太郎』である。
モモンゲリオンの原点とも言えるテレビシリーズは、オバンゲリオンが拾ってきたモモからまったく出ようとしないタロウの妄想を延々と描き映す。
「出ちゃだめだ……出ちゃだめだ」とつぶやきながら一向に現れない主人公は次第に世間の注目を集める。そして最終回、ようやくモモから現れたタロウはこれまで一切登場しなかったキャラクターたちに囲まれ、「おめでとう!」と祝福され物語は幕を閉じる。
このあまりに唐突なラストと、謎に満ちすぎたストーリーが多くの若者の心を捉え、モモンゲリオンは一大社会現象を巻き起こす。それまでの一方的に与えられる物語ではなく、無数にばら撒かれたピースから読み手が積極的に物語を構築するというムーブメントの先駆けは、間違いなく本作であった。
そしてテレビ放送終了後、ファンの知的欲求が沸点に達したとき、監督の安堵は『劇場版モモンゲリオン』の制作を発表する。全国の劇場に徹夜組を含む大行列が押し寄せ、興行成績はそれまで一位の『のけもの姫』に迫る勢いであった。
評価はまさに賛否両論。テレビシリーズのラストに登場したキャラクターは大方の予想通り、後にタロウの仲間となるイヌ、サル、キジであり、彼らと鬼殲滅に向かう怒濤のストーリー展開は多くのファンを驚喜させたが、一方タロウの闇はさらに深まった。
とくに鬼たちを殲滅した血の砂浜でキジがタロウに「きもっ!」と吐き捨てるラストシーンは、ファンの心に一生消えないトラウマを残すこととなった。
その二年後、安堵は突如『シン・モモンゲリオン劇場版』三部作の制作を発表する。前作が完結と捉えていたファンは激しく戸惑い、それ以上に歓喜した。
新たな伝説の幕開けとなった『序』は、テレビシリーズのラスト直前までを踏襲しつつも映像は刷新され、タロウの妄想シーンはデジタル撮影や3DCGによって極めて先鋭的な表現に改変されている。また旧作とも多くの異なる要素を含み、このシリーズが単なるリメイクではない、リビルド(再構築)であることを印象づけた。
つづく『破』はモモンゲリオンの難解な側面とエンターテイメント性の高い映像が見事に融合した傑作となった。
イヌ、サル、キジ、荒波ケイといった主要なキャラはさらに緻密に描かれ、キビDNAに秘められた謎の真相もほのめかされた。ことに鬼ヶ島上空に現れた干支シリーズが旋回するシーンはストーリー上のパラレルな分岐点となり、次作でどんな結末を迎えるかファンの期待は否応なく高まった。
しかし、本来なら完結編となる『急』は、これまでに築き上げた展開を無情に覆す問題作となった。
鬼殲滅作戦直前「急」にお腹が痛くなったタロウはそのまま意識を失う。そして再び覚醒したタロウの眼前に広がったのは桃源郷(momotopia)──つまりタロウはここに至って再びモモの内部に閉じ籠もったのであった。
ようやく大団円を迎えるものと期待していた多くのファンはまさに絶句。『急』はそのまま自我の無限ループへと突入し終了、制作側は次作が真の完結と発表した。
当時『急』を見た筆者はほとんどのファンと同様呆れ、怒り、そして諦めた。筆者にとって自意識に縛られ身動きのとれないタロウはまさに自分自身であり、彼の成長に己を投影することが、文字どおり自分と社会を接続するプラグだった。そのプラグが安堵監督によって一方的に引き抜かれた気がした。
いや、安堵は再び自閉のシャッターを下ろすことで、いまだ現実に踏み出せない観客を追っ払ったのかもしれない。ならば我々も正気に戻ってこの終わりなき日常に対峙するほかあるまい。
そして実際、そうしてきた。日々の生活に忙殺され、私をあんなに夢中にさせたモモンゲリオンはずっと記憶フォルダの最下層に放置されたままだった。昨年末とうに凍結したと思われた新作『尻』公開の報を聞くまでは──。
公開初日に前売りチケットを握りしめ、行列に加わっている姿が自分でも不思議だった。
新作公開の報があまりに突然だったからか、安堵がモモとは別に監督した実写映画がやはり素晴らしかったからか、とにかくそれは不意打ちで私の記憶を蹴り上げ、気がつくとこの日を心待ちにしていた。
正直怖かった。『急』のショックは自覚より根深かった。泥沼の果てに縁を切った彼女と再び待ち合わせる心境で、劇場の暗闇に身を埋めた──。
以下はネタバレを含む報告である。未見の方は直ちに回避願いたい。