【2022年11月号 爆笑問題 連載】『母』『浅野拓磨の神』天下御免の向こう見ず

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<文・太田光>

「ケケケケ」
 部屋の中でヘンテコリンな声がした。
「え?」
 少女が声のした方を向くとそこには奇っ怪な白い小さな動物がいた。耳が長くてウサギのようだが、顔は完全にネコのウサギネコだ。
「誰?」
 少女は不思議そうに聞く。
「ケケケ、見ればわかるニャ。俺はウサギだニャ」
「ウサギ? ネコじゃなくて?」
「失礼ニャ!」
 ウサギネコは憤慨した。
「どう見たってウサギだニャ! バカにするニャ!」
 少女は戸惑った。
「……ウサギ?……でも、どこから入ってきたの」
「ふん、別に。ずっとここにいるニャ。お前が生まれた時から」
「私が生まれたときから?」
「ケケケ、今まで気がつかなかっただけだニャ」
 少女は今年十七になった。
 なんだか最近になって自分を取り巻く世界が変わってきたように感じ始めていたのは確かだった。
 少し前までは何の疑いもなく信じていたものが、何となくおかしいと思うようになってきたのだ。
 きっかけは高校のクラスメートの男の子だった。今学期になって、席が隣になって少しずつ話すようになってから、何となく毎日が楽しくなっていることに気がついた。朝教室に入るとまず男の子の存在を確認するようになった。
 男の子はいつも少女に恥ずかしそうに話しかけた。
「ねえ、この問題ってどう説くの?」
「昨日のテレビ見た?」
「これ、今僕が好きでよく聴いてる音楽なんだけど、聴いてみて」……。
 そんな他愛もない会話をしているうちに、気がつくと少女は男の子の目を見ると、心の中が温かくなっていることを感じるようになった。
 そう感じる度に「いけない!」と自分の中のもう一人の自分が言って胸が締めつけられるような気がした。
 それは、禁じられた感情だった。
 一番いけないことと教えられたものだ。
 そんなんじゃない! ただのクラスメートだから!
 いくらそう自分に言いきかせても、どうにも出来なかった。毎日男の子の目を見るたびに胸が苦しくなるのだった。
 汚れてしまったのかもしれない。このままでは堕落してしまう。
 少女は男の子に話しかけられても、あまり応えないようにした。
 その度に男の子の目は寂しそうに下を向くのだった。それがとても切なくて、ごめんなさい。と心の中で呟いた。
 苦しい。もう学校に行くのをやめたほうがいいのかも。
 そんなことを考えて、今も悶々としている所だった。
「ケケケ、おまえはニャンにも悪くニャイニャ」
 ウサギネコが言った。
 少女はウサギネコを見た。ウサギネコはニヤニヤ笑っている。
「嫌! あっち行って!」
 少女は思わず叫んだ。
「どうしたの?」
 そう声をかけたのは母親だった。
「え?……何か?」
「何がって、急に叫んだりして」
 母親は心配そうに少女を見つめている。
 大好きなお母さん……。少女は母親を裏切ることは絶対出来ないと思った。だから、男の子のことも絶対に母親には言えないと思っていた。
「あなたどうしたのよ。最近、なんだか様子が変よ。顔色もとても悪いし」
「……ううん。何でもない」
「何でもないってことないでしょ? 学校で何かあったの?」
「違うよ、そうじゃなくて……」
「おかしな子」
 そう言って向こうを向いた母親の背中を少女は見つめた。
 優しいいつもの背中だった。
「ねえ、お母さん」
「何?」
 少女は部屋の隅を指差した。
「あそこに変な動物がいるの」
「え? 変な動物?」
 母親は驚いて少女の指の先を見る。
「ケケケ」
 ウサギネコは母親を見て笑っている。
「何言ってんのよ」と母は笑う。

「また、すぐそうやってふざけるんだから、動物なんていないじゃない」
「いるよ」
 母は笑う。
「全くあなたは、いつもそうやってからかって。もう高校生なのにちっとも子供の頃と変わってないんだから」
 母親は嬉しそうに言った。
 幼い頃、よくそうやって母親と遊んだ。
 母親が読んでくれた絵本の中に出てくる人物や動物達が部屋にいるって言って、ごっこ遊びをした。その頃母親は少女の嘘に付き合って、一緒に少女の空想の動物達と遊んでくれた。少しずつ少女は成長して、ごっこ遊びはしなくなっていた。
「なんだか急に子供に戻っちゃったみたい」
と母親。
 でも、今少女に見えてる奇っ怪な動物は、あの頃の空想とは違った。今は確かに目の前にハッキリと不気味なネコともウサギともつかない動物が見えていて、いつまでもニヤニヤと嫌な笑いをしているのだった。
「ケケケ、おれは確かに架空だけど、おまえが子供の頃の幼稚ニャ、毒にも薬にもニャらない空想じゃニャイ」
 ウサギネコはそう言いながら笑い、少女に近づいてきた。
「ケケケ、ニャぁ。おまえはあの男の子が好きニャンだろ? それはニャンにも悪いことじゃニャイ、おれはずっとここにいたんだニャ。おまえが見えニャかっただけで、おれはずっといた……ケケケ」
「ねえ、やめて……」
「おまえは、あの男の子を好きにニャった瞬間におれのことが見えるようにニャったんだニャ……」
「こっちに来ないで! お願い! 消えて!」
「ケケケ、誰にもおれを消すことニャンて出来ニャイよ。見えニャくニャってもここにいる。おれの本当のニャまえを教えてやろうか。おれのニャまえは、お前のココロだニャ」
「やめてぇ!」
 パン!
 強い衝撃が少女の頬に走った。一瞬頭がクラクラするぐらい。
 気がつくと少女は倒れ、目の前には母親が立っていた。
「お前、何が見えてるの?」
 母の表情はいつもの優しい表情とは全く違うものだった。
「……お母さん?」
「言いなさい! お前に何が見えてるの?」
 鬼の形相。
 まだに母の表情はそれだった。
「私は……」
 パン!
 もう一度強く頬を打たれた。
「やめて! お母さん!」
 母親は少女の長い髪をつかむと思いきり引っ張り顔を上げさせた。いつもの母親とは全く別人になった女は、そのまま髪をつかみ少女の顔を自分の顔に近づけて言った。
「お前、最近様子がおかしいと思ったら、お前に見えてるのは、サタンじゃないのか?」
「やめて、放してお母さん!」
 少女は泣きながら叫ぶ。
 母親はもう一度少女の頬を強く打った。少女は床に倒れる。
「あれほど言っただろ! 堕落するなって。そうか。お前は学校に行って、外の世界に触れて、影響を受けて堕落したんだね。あれほど言っただろ! 外の社会にいるやつは皆サタンだって! お前には信じる努力が足りてない! さぁ、言え! お前からサタンを出してやる! お前に見えてるのはどんな動物なんだ! 言え!」
 母親はもう一度少女の髪をつかんで頬を打とうとする。
「待ってお母さん! 言うから! ちゃんと言うから!」
 そう叫ぶと母親は、髪を話すと少女を睨み付けた。
「さぁ、言ってごらん。何が見えてる?」
 少女は恐怖で泣きながら言った。
「ウサギみたいに耳が長くて、でも、顔はネコみたいな、変な動物がこっちを見て笑ってて……お母さん?……ねぇ、どうしたの?……お母さん?」
 見ると母親の顔が青ざめていた。
「み……耳が長くて……」
「ケケケ」
 母親の目の前に現れたのは、あの時のウサギネコだった。

 今から三〇年以上前。
 母親はまだ大学生だった。
 学校では友達も出来ず、成績もパッとしない。当時付き合っていた男に裏切られ、死のうと思った。社会から孤立し、孤独だった。
 そんな時、彼女に手を差し伸べたのが街でアンケートをしていた女性だった。
 幾つかの質問に答えると、女性は集会に女性を誘った。
 そこにいたのは、彼女と同じように孤独を抱える、寂しい人々だった。アンケートをしてきた女性は、今まで出会った誰よりも親身になった彼女の話を聞いてくれた。そして自分のことのように涙を流してくれた。
 その場所にいる時だけ、彼女は安心できるような気持ちになった。その場所にいる他の人々も皆親切だった。皆悩みを抱えていた。誰も彼女をバカにしなかった。自分も同じだと言った。
 その場所にいると孤独を感じなかった。ここが自分の居場所だと思った。
 しかし。
 しばらくするとその場所は、今新聞やテレビで社会問題になっている場所だと知ることになった。
 彼女は最初戸惑った。もうそこに通うのはやめようと、何度も考えた。しかし、そこは彼女にとって温かい場所で。とても居心地が良かった。こんなダメな自分を受け入れてくれる場所は他にないと思った。
 世間は誤解している。ここは新聞やテレビが言うような場所じゃない。
 間違っているのは社会の方だ。きっと。きっとそうだ。
 彼女はその場所でいろんな話を聞いた。今まで知らなかったこの世界の摂理を聞いた。
 ここしか私の生きる場所はない。
 そう思った時、反対されることを承知で、決死の思いで両親に自分の居場所を打ち明けた。
 両親は最初驚き、戸惑った。
 その反応はわかっていた。
 彼女は何度も両親を説得した。
 しかし両親はどうしても彼女の話を受け入れられない様子だった。
「お願い、考え直して!」
「ごめんなさい」
「お前、騙されてるんだよ」
「……違うわ」
「ねえ、その団体がどういう団体だか……」
「わかってるわ! でも、それは誤解なの」
「いや、お前はわかってない!」
「わかってないのは、お父さんとお母さんよ!」
 ギャァ!っと、今まで聞いたことのない悲痛な声で母親は叫んだ。
「お母さん。お願い。私は私の生き方がしたいの。どうか許して」
 彼女の母親は泣きながら彼女の肩をつかみ、信じられないような力で前後に揺さぶった。
「放して!」
「バカ!」
 彼女の母親は彼女の頬を打った。生まれて初めて、彼女は彼女の母親に頬を打たれた。
「……お母さん……」
 彼女の母親は泣いて叫んでのたうち回っていた。父が彼女の母の肩を抱いている。
「ごめんなさい……」
「ケケケ」
 突然、ヘンテコリンな声が聞こえた。
 見ると母親の後ろにいるのはウサギネコだった。
「おまえは悪くニャイ。あやまることニャンかニャイニャ」
「……ウサギちゃん」
 彼女はウサギネコをそう呼んでいた。
 それは、幼い頃、彼女の母親が彼女に聞かせてくれた物語の中に出てくる動物だった。
 彼女の母親はいつも寝る前に、おとぎ話を聞かせてくれた。彼女の母親は、その時思いついた物語を話す名人だった。
「それは耳が長くてウサギに見えるんだけど、顔はネコにそっくりで、ウサギだかネコだか、わからない動物なの」
 彼女の母親の創り出す物語はいつも適当で、彼女はそれが面白くていつもケラケラ笑った。
 彼女は彼女の母親の創った物語を聞くのが大好きだった。
 今、自分はその優しい母親を傷つけている。
「ニャぁ。おまえはあやまることニャンかニャイ。おれの本当のニャまえをおしえてやろう。おれのニャまえは、お前のココロだニャ。誰もおれを消すことニャンか出来ニャイニャ……ケケケ」
 彼女の目の前でウサギネコは、ニヤニヤ笑っている。幼い頃のあの時のままに。
「ごめんなさい」
 彼女は、あの日、そう言ってウサギネコを追って家を出て、その後一度も家に帰らなかった。

 三〇年後。
 堕落して、サタンに取り憑かれたと思った娘の口からあの動物の名前が出てきた。
 彼女は娘にあの動物の話をしたことなんて、一度もなかったのに……。
「ケケケ」
 そして今、彼女にもハッキリとその姿が見えていた。あの時のウサギネコ。彼女の母親が創ったウサギネコだ。
 家を出た、あの時以来一度も見たことがなかったのに……。
「ケケケ」とウサギネコは笑った。

「久しぶりだニャぁ」
「お母さん。どうしたの」
 呆然としている彼女に、彼女の娘の少女は言った。
 見ると少女の頬は赤く腫れ上がり、髪の毛は乱れ、目は泣きはらして膨れていた。
「ケケケ、全部お前がやったことだニャ」
 ウサギネコは笑った。
「ねえ、お母さん。もしかしてお母さんにも見えてるの?」
「もちろんだニャ」
 ウサギネコは少女に言ってニヤリと笑った。
「私には……」
「見えてるよニャ?」
「お母さん、ごめんなさい、あたし……」
「お前はあやまる必要はニャイ」
 ウサギネコは少女にそう言うと、彼女に向かって言った。
「そうだよニャ?」
「私……」
「お母さん?」
「ケケケ、おれはおまえにあの時、おれの本当のニャまえを教えたはずだニャ。おぼえてるよニャ?」
 彼女の脳裏に、彼女の母親の顔が浮かんだ。

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