天久聖一がおくる笑いについてのノンフィクション【笑いもの 天久聖一の私説笑い論】第3回

笑いもの 第三回

 

かっこいいスキヤキの衝撃

▲『かっこいいスキヤキ 新装版』泉昌之

 

あんなに覇気のない大人に会ったことはなかった。

倫理のY先生は、高身長で色白で、ボストンメガネの目の奥は常に死んでいたけれど、唇だけはぽってり赤く、どこか寝ぼけたヒヨコを思わせた。東京の名門大学出身で、大学院まで進んで難しい研究をしていたらしいが、なぜかあっさり地元に戻り高校教師になったという。

噂に聞く前歴もあいまって、最初はかなり近寄りがたい雰囲気があった。しかし、結局、好奇心が勝った。東京帰りの、死んだ目のインテリ教師は、それだけで凡庸な田舎の高校生をたまらなく刺激する存在だった。

慎重に距離を詰める中で、Y先生は全共闘の残党でもなく、学会を追い出されたマッドサイエンティストでもないことが分かった。

もちろん先生なりの挫折や、人生の転換を迫る事情はあったのだろうが、そんなプライバシーを表に出すような人ではなかった。相変わらず目は死んでいたが、僕がふっかける哲学的下ネタに口端で笑い、知ったかぶりのユング論にも適当な相づちを打ってくれた。

そうしてなんとか「変わり者ぶったへんな生徒」として認識してもらえた頃だった。「天久くんはこういうの好きかもね」と一冊のマンガを貸してくれた。それが泉昌之の『かっこいいスキヤキ』だった。

 

いまでもそのタイトルを聞くだけで、胸が疼く。

ようやく出会えたというより、出会った瞬間、自分はずっと前からこれを求めていたんだと思える感動。音楽でもアニメでも、小説でも映画でも、思春期にはそんな運命の出会いが立て続けに起きる。

やっと手に入れた自分だけの価値観。孤立無援の青春に現れた頼もしき援軍。手に負えない自意識に振り回されながらも、どこか浮かれた「あの頃」がきらきらと蘇る。

 

もっとも『かっこいいスキヤキ』の内容はきらきらとはほど遠い。

冒頭の『夜行』はトレンチコートを着たハードボイルド風の男が、脳内で独自の理論を展開しながら駅弁を食べるだけの話だし、つづく『ロボット』は件のハードボイルド男が自宅までウンコを我慢するだけの話だ。

 

しかし、たったそれだけのことが「笑い」になる──日常の些末を金箔職人のごとく敷延し、そこに浮かび上がるいじましい人間性を笑いに転換する。

現代では定番となっている「日常あるある」の原型が、まさにこの『夜行』なのだ。同作品はすでにギャグマンガの古典的名作とされているが、そのジャンルを超えた影響力を考えると、僕はまだまだ過小評価にすら感じる。

 

ギャグマンガ屈指の「発明」に、もちろん僕も感化された。

駅弁を食べるだけ、うんこを我慢するだけでこんな話をつくれるなら、教室での居眠りや学食までの競争、部活のさぼり方だってネタになる。そうだ、本屋でエロ本を買う(そんな時代だった)なんて大長編になりそうだ。

『夜行』の主人公はつねに誰もが知る日常、つまりノンフィクションの中に存在し、彼の葛藤はほとんどの人が共感できる人間味で溢れている。

文脈的には劇画ギャグとして取り沙汰される『夜行』だが、その構造は限りなくエッセイマンガに近い。そこで読者が笑うのは主人公の行動ではなく、その思考回路だ。もっと言えばそれを描いた作者の内面を追体験するおかしみ、同じ視点を共有するよろこび──。

 

従来のギャグとは明らかに出所が異なる笑いへのアプローチ。おそらくそれは、作者の泉昌之が二人いることに関わっている。泉昌之は久住昌之(原作)と和泉晴紀(作画)の合同ペンネームなのだ。久住先生と言えば『孤独のグルメ』の原作者としても知られている名エッセイストだ。和泉晴紀先生との出会いは、赤瀬川原平が講師を務めた美學校らしく、となるとギャグマンガを刷新した知性の由来も察しがつく。

 

それにしても独り言のナレーションと映像でつむぐ『孤独のグルメ』は、劇画とエッセイのハイブリッド『夜行』とほとんど変わらない。久住先生はデビュー作からして普遍のテンプレを完成させていたのだった。すごい。

 

田舎のサブカル少年

 

『かっこいいスキヤキ』は僕にとって、サブカルとの出会いでもあった。

もっともサブカルなんて言葉は当時誰も使わず、ましてや現在のようにオシャレな意味合いなどまるでなかった。メジャー誌以外はマイナーで、その最底辺で鈍色に光っていたのが、『かっこいいスキヤキ』の初出誌『ガロ』だった。

 

マンガ史に詳しい人なら周知の通り、『ガロ』は1964年青林堂より、白土三平の『カムイ伝』を世に出すために創刊されたマンガ誌だ。

60年代の『ガロ』はカウンターカルチャーの雄として学生たちに熱く支持され、水木しげる、つげ義春、永島慎二などマンガ史上最重要作家たちを次々と世に送り出すも、70年代からは長い低迷に入り、80年代にはマイナーの代名詞となった。

 

ただ、世間に媚びない反骨精神は一貫し、低迷期に編集長をつとめた南伸坊と渡辺和博が打ち出した「面白主義」は、ガロに現代美術のトップランナー赤瀬川原平を引き込み、湯村輝彦・糸井重里による元祖ヘタうま『情熱のペンギンごはん』誕生の契機にもなった。

久住先生も、僕ら世代が尊敬して止まない根本敬、みうらじゅん両先生も、この70年代のエッジの効き過ぎたガロに衝撃を受け集ったニューウェーブ組だ。

 

僕はそんな先輩方から一方的な影響を受け、思春期の自意識をマイナー漫画に注ぎ込んだ。

80年代の半ば、青林堂の単行本は県庁所在地の大型書店にしかなく、僕は月に一度ローカル私鉄に乗って「狩り」に出掛けた。大型書店の深層部の、成人コーナーの隣にある大判コミックコーナー、そこでお目当ての根本敬『花ひらく家庭天国』や、蛭子能収『私は何も考えない』を手にしたときの、万引きよりドキドキした胸の高鳴りはいまも忘れられない。

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