<文・太田光>
みんなのヒーロー
匿名の青年はネット記事の画像を見つめ、溜め息をついた。
「この演出で見たかった」とツイッターに書き込む。
青年が見ている画像は、本来こうなるはずだったとされる開会式の絵コンテだ。照明で白く浮かび上がるステージに突如真っ赤なバイクが颯爽と走り込んでくる。世界でも有名な日本の漫画のキャラクターの登場だ。青年は既にこの場面だけですっかり心を奪われた。
中央から現れた、渋谷109を思わせるような円柱型の舞台の上で歌い出すのは海外でも人気のあるアイドルの三人組だ。プロジェクションマッピングによって、舞台上に東京にある名所の風景が舞台に浮かび上がる。歌舞伎町、浅草、秋葉原…。渋谷スクランブル交差点を初めとするそれらの風景はどこも、SNSなどによって広められ、外国人ウケの良い場所だ。「アニメ」「カワイイ」「アキバ」外国でも通じる言葉。
やがてそれらの街の下に無数に張り巡らされた地下鉄の路線図が再びプロジェクションマッピングで描かれる。まさにネオ東京。クールジャパンを象徴する風景だ。
競技を紹介するのは世界的に有名な漫画、アニメ、ゲームのキャラクター。みんな大好き、メイドインジャパンのヒーロー達だ。
青年は再び溜め息をつく。
実際に行われた式典はこの企画書とは全く違うものだった。テーマも絞りきれてない。急場しのぎのアイデア。日本では有名だが、世界では名の売れてないタレントのパントマイム……。
青年はツイッターに書き込む。
「日本は世界に恥をさらした」「本当の日本の文化の実力はこんなものではないと知らしめたかったのに。何これ? ガッカリだわ」「こんなの誰が望んでるの?」「もうオリンピックなんか見ない」……。
悪夢は数週間後、再び訪れた。閉会式だ。パフォーマンスは開会式に輪をかけてひどかったように青年は感じた。携帯を見ると同じような意見が並んでいる。「世界に対して恥ずかしい」「もっと日本の良い所があるはずなのに」……。「東京音頭なんて世界で誰が知ってんだよ」。
♪ハァ~踊りお~ど~るなぁ~あぁら、チョイト東京お~ん~どヨイヨイ♪
会場では大勢の人達が浴衣を着て東京音頭を踊っている。国内では有名な女優やミュージシャン達も出ているようだが、あの企画書にあった世界に名の知れたみんなのヒーローは誰もいない。
「赤っ恥」と、男はツイッターに打ち込んだ。
♪花のみ~や~こぉ~ぉおのぉ~花の都の真ん中で♪
とても見てられないと男は思う。「こんなんだったら、パフォーマンスなんか何もしない方がマシ!」男のツイートにはまたたく間に「イイネ」が付いた。
この大会は完全に失敗に終わったな。そしてきっと失敗の歴史として後世に語り継がれることになるのだ。はぁ。自分はなんて不幸な時代に生まれたんだろう。後の世代からどう思われるんだろう。
♪ニャぁ~とニャぁ~ソレヨイヨイヨイ、ニャぁ~とニャぁ~ソレ、ヨイヨイヨォ~イ♪
テレビからヘンテコリンな声がする。
見ると見たこともないキャラクターが会場で踊っている。それは奇っ怪で白い小さな生き物だった。耳は長くてウサギのようだが、顔は完全にネコのウサギネコだ。
「何だあれ?」男は呟いた。それは有名な漫画やアニメやゲームのキャラクターでもない。今まで見たこともないような、何ともセンスのないショボイ、キャラクターだ。どうせ即席で作ったゆるキャラだろう。誰がこんなもん喜ぶんだ。
「うるさいニャ!」
「え」
テレビの中から声が聞こえた。見るとウサギネコが画面に向かって叫んでいる。
「こっちが知らニャイと思うニャよ! おれだってスマホぐらい持ってるんだニャ! お前のつぶやきじゃ全部聞こえてるニャ!」
次の瞬間、画面から白いネコの手がニュイっと現れて、凄い力で青年の首根っこを掴むとグイっと画面の中に引き込んだ。
気がつくとそこは新国立競技場の真ん中だった。周りで人々が踊っている。
客席を見まわすと誰もいない。まるで身捨てられたような寂しい空間だった。
それでもフィールドにいる世界から集まった選手達はそれぞれ楽しそうに、お互いに写真を撮ったりしている。期待と緊張、不安。興奮が入り混じった高揚感。思う存分力が出し切れなかった絶望感。それでも次に向けた戦いは始まっているんだと気持ちを切り換えようとし明るく話している者もいる。皆、マスクをしながら、瞳を輝かせている。
「ケケケ、こいつらには式典ニャンてにのつぎニャンだニャ」
青年は戸惑った。
「お前は誰だ? 何でネコが俺をこんな所に連れ出したんだ?」
「失礼ニャ! おれはネコじゃニャイ! ウサギだニャ!」
「ウサギ?」
「そうだニャ! ウサギだニャ! お前にはウサギとネコの見分けもつかないのか、このバカタヌキ!」
「タヌキ?」
自分の体を見ると毛が生えていてすっかりタヌキになっていた。
「チョッ、ちょっとまて! どうなってんだ? 助けてくれ! 俺はタヌキじゃない! ポン! 人間だポン! 早くここから戻りたい! ここから出してくれポン!」
「ケケケ、センスのニャイキャラクターだニャぁ」
「いいから早くポン! いや、ポンなんて言いたくないポン!……ああ!」
その時どこからともなく音が聞こえた。
カチカチカチカチ。
「え?……なんだこの音は? なんか変な音が聞こえてくるポン? おいウサギさん。この音はなんの音だポン?」
「ああこれかニャ。この競技場はカチカチ競技場というんだニャ。気にすることニャイニャぁ」
「カチカチ競技場? 聞いたことないポン! そんなことはいい! 早くここから元に戻してくれ! ポン! 元の世界に戻りたいポン!」
「ケケケ、しょうがニャイニャぁ」
そういうとウサギネコはフィールドの床をトンと付いた。
プロジェクションマッピングによって床一面が海になった。
「うわぁぁぁぁ! 俺は泳げないんだよ! 助けてくれ! ポン! ポン! ポン!」
「ケケケ、臆病者め。そんニャに慌てることはニャイニャ。ちゃんと救命ボートは用意してあるニャ」
海の上に二艘の船が現れる。小さな木の船と大きな泥船だ。
「これに乗ってしばらく行けば元の世界にたどり着けるニャ」
「ほ、本当か? ポン! どっちがいい?」
「そうだニャぁ。泥の船の方が大きいから安全だニャ」
タヌキになった青年は、慌てて泥船に乗る。
ウサギネコは木の船にピョンと飛び乗ると、
「出発進行! ヨーソロー!」と言った。
船が動き出す。
やがてタヌキになった青年の船が水漏れをしだした。
「おい! ウサギ! 水が! 水が漏れてる! 浸水してるポン! 沈む、た、助けてくれ! 早く! 助けてくれ! このままではポン! 沈んでしまう! ポン! ポン! 俺は泳げないんだポン!」
「ケケケ。ホラ、早く水を掻き出さニャイと沈むぞ! 掻き出せ掻き出せだニャン!」
青年タヌキは必死に水を掻き出すがとても間に合わない。船はどんどん沈んでいく。
「だだだ、ダメだ! ししし沈む! 沈む! ポン!」
「ケケケ、誰かに助けを求めたらどうだニャ? お前のヒーロー達がきっと助けてくれるだろうニャ!」
「だだだ、誰か! 誰か助けてくれポン! うわぁぁ! ガブガブガブガブ」
青年タヌキは溺れかけた。
その時、プロジェクションマッピングの映像が変わり、草原になった。
「おい、君、大丈夫か? 目を覚ませ」
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投稿者プロフィール
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太田光(おおた・ひかり)●1965年埼玉県生まれ。中でも文芸や映画、政治に造詣が深く、本人名義で『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説も発表。
田中裕二(たなか・ゆうじ)●1965年東京都生まれ。草野球チームを結成したり、『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)などで披露する競馬予想で高額馬券を的中したりと、幅広い趣味を持つ。
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