【2021年4月号 爆笑問題 連載】『ライオン』『とにかく明るい松山』天下御免の向こう見ず

<文/太田光>
ライオン

「ライオンは?」
 と少年が聞く。朝からもう何度目だろう。
「動物園はお休みなんだって」
 母親は苛立ちを悟られないようになるべく柔らかい声で言う。テレビでは都知事が話している。
「今回のゴールデンウィークのキーワードは、『おさえる』です。外出をおさえる。帰省をおさえる。感染を…」
 母親はテレビのスイッチを切った。心がざわつく。
「ママ?」
「何よ!」
 思わず声が大きくなった。少年の肩がピクンと上がる。しまった、と後悔する。
「ん? どうしたの?」と優しい声で言い直すが、少年は黙って首を横に振る。
 今度お休みになったら動物園に行こうね、と言ったのは自分だ。少年は大喜びだった。今、少年はその『約束』のことを考えているに違いない。母親は守れない約束のことを聞かれることを恐れ、話しかけられないような態度をとっていることを自覚している。そんな自分が嫌で、イライラがつのる。
 この先どうなるのだろう。会社はいつまで自分を雇ってくれるだろう。子供の学校は休み明けどうなるだろう。実家の両親は大丈夫だろうか。この子の将来は……。
 大人であり、親である自分がこれだけ不安なのだから、きっと子供ならもっと不安なはずだ。遊びたい盛り。公園にだって行きたいだろう。友達にだって会いたいだろう。
 わかってる。
 わかってるが今は自分の気持ちをおさえるので精一杯だ。否、もうおさえきれない。
 その上「おさえる。おさえる」と連呼されれば叫びたくなる。それがダメだとわかっている。誰が悪いわけではない。そう言い聞かすが、あたかも「あなた達のせいよ」と言わんばかりの表情をする都知事の顔を見ると感情が爆発しそうになるのだ。
「あ、そうだ」と言ってタブレットで動物園の動画を出し、少年の前に置く。もう何度も見せている動画だ。少年はおとなしく動画を見つめる。『いつライオンに会いにいけるの?』という心の中の声が聞こえるようで、涙が出そうになり、目を逸らす。深く息を吸い、ゆっくりと出す。落ちつけと自分に言い聞かす。
「ママ?……ママ?」
 少年が自分を呼んでいる。聞かれる言葉はわかってる。ちゃんと落ち着いて。どう答えようか考えながら振り返る。
 少年は向こうを向いて何かを指差していた。
「どうしたの?」
「あれ」
 不思議そうな顔の少年の先には、今まで見たこともない奇っ怪で白い小さな動物がいた。耳が長くてウサギのようだが顔は完全にネコのウサギネコだ。
 ウサギネコは母親を見てニヤニヤと笑っていた。
「ママ、これ、何?」
 聞かれてもわからない。いつの間に部屋に侵入したのか。自分の目がおかしくなったのだろうか。いや、少年にも見えているってことはやっぱりそこにこの奇っ怪な動物はいるのだろう。
「ダメよ、近づいちゃ」
「ケケケ、大丈夫だニャ。取って喰ったりしニャイニャ」
「わっ、喋った」少年は目を丸くする。
 母親は慌てて少年の背中を抱いた。
「ケケケ、そんニャにあわてることニャイニャ」
「君、誰?」と少年。
「ライオンだニャ」
「ライオン?」と少年は下のタブレットのライオンの動画を見て、ウサギネコを見て、母親を見上げる。
「本当?」
 母親は首を振る。
「おい! 子供の夢を壊すニャ!」
「シッ! シーッ!」と必死で追い払おうとする母親。
「ニャンだよ!ケダモノ扱いするニャ!」
「ねえ、ママ、この動物何?」
「たぶん、ネコよ」
「失礼ニャ! おれはネコじゃニャイ! ウサギだニャ!」
「ウサギ?」と少年。
「話しかけちゃダメ!」と母親。
「ヒドい言い草だニャぁ。その子はおれと話したがってるニャ。…おい、ガキ。おまえはそんニャにライオンが見たいのかニャ?」
「うん。動物園に行きたい」
「ケッ、くだらニャイニャぁ。あんニャとこ」
「え?」
「ライオンニャンか格好良くニャイニャ。あいつは、おれのスケールを小さくしたみたいニャもんだニャ」
「ママ、どういうこと?」
「…よくわからないわ」
「フギャ!」
 母親は少し考えて少年に言う。
「ライオンっていうのはネコ科なの。だから同じ仲間だってことを言いたいんだろうけど、大きくて強いのはライオンの方よ。スケールを小さくしたのはむしろこの動物の方なの」
「うるさいニャ! さっきまで落ち込んでたくせに、よけいニャことをペラペラ言うニャ!」
「そうなんだ。君の方が出来損ないなんだ」
「違うニャ!」
 ウサギネコはまっ赤になって怒った。
「いいか! 動物園の動物ニャンか見たってちっとも面白くニャイニャ! あいつらには覇気がニャイ! ずーっとステイホームで、今のおまえ達と一緒だニャ! その点おれは自由だニャ。時間にも空間にも囚われニャイ! どこへでも飛んでいけるんだニャ」
「黙って!」と母親が言った。怒りが込み上げてきていた。

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